2012年5月30日水曜日

:適正人口になるまで、世界の飢餓状態は収束しない

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● 2011/11/06[2006/07]



 これは自然の摂理なのかもしれない。
 あまりにも人類がふえすぎて、地球上に居住しうる限界を超えてしまったのだ。
 したがって、
 適正人口に落ちつくまで、世界的な飢餓状態が収束することはない。

 食料の増産や居住地の確保は、なんら効果をもたらさないのではないか。
 そんなものは死に直面した人類の、姑息な延命措置でしかないからだ。

 あらためて思い出すまでもなく、人類は野放図に増え続けてきた。
 7万4千万年前には1万人以下だった人類の祖先は、長い年月をかけて世界中に進出をはたした。
 その間に世界人口は増大をつづけ、西暦元年には「3億人」に達していたといわれる。
 それに続く1,000年間は、大きな変化もなく推移した。
 2億人から4億人の間で増減していたというが、急激な増加はなかったようだ。
 漸増に転じるのは、11世紀に入ってからだ。
 そして16世紀から17世紀にかけて、ようやく5億人のラインを超えたといわれている。

 世界人口の増加に加速がかかるのは、このあたりからだった。
 19世紀のはじめに10億人をこえ、20世紀の初頭には20億人に迫っていた。
 5億人から10億人まで200年ないし300年を要したのに、10億人からの倍増には100年余りしかかかっていないのだ。

 だが本格的な人口爆発は、20世紀の後半からはじまる。
 1950年には25億人だった世界人口は、その後の40年間で倍の50億人をこえるまでになった。
 人口の増加はその後もつづき、現在では60数億人にもなっている。

 その爆発的な人口増加の理由を、これまで人々は科学技術の発達に求めてきた。
 ことに18世紀からはじまった産業革命や、医療技術の普及は人類の居住環境を大幅に改善させた。
 その結果、人口はとどまることのない増加に転じた。
 ---そう信じられてきた。
 だが、本当にそうなのか。
 本当に人類は自分たちの力で、ここまできたのだろうか。
 世界中の隅々にまでに繁殖し、膨大な個体数を数えるまでになったのは、人類が知恵を授けられたからなのか。

 たしかに人類は居住に適さない極地や、食料の自給さえ困難な乾燥地帯にも版図を広げてきた。
 だがそれを科学技術の発達に求めるのは、安易である以上に傲慢な気がした。
 そうではなくて人類が増加したのは、単なる偶然だったかもしれない。

 実はこの時期の地球は、人類に対して敵意を顕にしなかっただけなのだ。 
 たまたま温暖な時期が続いたために、人が増えた、ということだけではないのか。
 
 春先に大量発生する羽虫のように、冬がくれば死滅する程度の存在でしかない。
 』


注].人口増加の最新データをwikipediaからみてみる。

 「国連の2011年版「世界人口白書」によると、2011年10月31日に世界人口が70億人に到達したと推計されている」

 2011年 70億人
 1998年 60億人
 1987年 50億人
 1971年 40億人
 1961年 30億人
 1927年 20億人
 1802年 10億人


 1927年に20億人、現在2012年で70億人。
 たった「85年」で世界の人口は「3.5倍」に増えている。
 1987年に50億人だった人口が、25年後には20億人増えている。
 中国の人口ですら13.5億人しかいない。
 わずか25年間で中国1ケ半分の人口が増えたことになる。
 生物的生理生態的な常識を超えた増加率である。
 それが今の地球の姿。
 こんなことがあっていいはずがない。
 こんなことが続くはずがない。
 環境学からいうとこの一世紀は自然気象は温暖状態が続いているという。
 それによってもたらされた偶然の産物ということだろうか。

 生態学的には世界はすでに人間で飽和している。
 このまま増加するなどということはあってはならないだろうと思う。
 おそらくは、悲劇の幕開けは始まっているのかもしれない。
 日本は少子化に入り、中国は一人っ子政策を推し進めている。
 表面的には全く違った圧力だが、この底に流れているものは人間あるいは民族としての本能的危機への衝動だろう。
 おぼろげに見えるのは、
 人口過剰がもたらす悲劇の目前化
ということなのだろう。

 いまはやりくりしているが、近い将来とんでもない事態がきてもおかしくはないといっても過言ではない、
 ということなのだろうか。
 ただ、日本に住むものにとって分かっていることは、できる対処として
 「まずはとりあえず、1億人まで減らせ
と、言うことのようである。
 その間、
 日本民族にとって苦闘の日々を送る

ことになるが、そうしないとならないということのようだ。
 すべてはそのあと、それからである。




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