2012年5月3日木曜日

:刺客列伝

_

● 1999/11/01[1997/04]



刺客列伝
 史記の愛読者のなかには「列伝」を好む人が多いであろう。
 列伝は個人の伝記の集成であり、それだけに人間が躍動している。
 かってな推量かもしれないが、列伝のなかでも「刺客列伝」がもっとも人気が高いのではないか。
 刺客はいうもでもなく、暗殺者である。
 だが、彼らは金で雇われた者たちではない。
 
曹沫(そうかい):春秋時代
専諸(せんしょ):春秋時代
豫譲(よじょう):戦国時代
聶政(じょうせい):戦国時代
荊軻(けいか):戦国時代

 の五人は、たとえば豫譲がいったように
--士は己を知る者のために死す。
 という精神の風景をもった者たちばかりである。
 司馬遷は、

 太史公曰く
 曹沫より荊軻にいたるまでの五人は、その義はあるいは成就し、あるいは成就しなかった。
 しかし、すべてその意図は明らかで、その志をあざむかなかった。
 その名が後世に伝わったのか、決して無稽のことではない。

と、記している。

 荊軻は秦の始皇帝の暗殺に失敗し、始皇帝とその側近の者に斬り殺された。
 しかしながら、中国全土の人を恐れおののかす始皇帝を、敢然と刺しにいった荊軻の勇気に驚嘆しない者はなく、燕の国をはなれる荊軻を涙とともに見送る人々との別れを描いた
 「易水の別れ(えきすい)」
は、涙なしでは読めない名場面である。

 「易水にねぶか流るる寒さかな」
という蕪村の名句は、むろんその故事から取材されたもので、ねぶかの白と荊軻が身に着けていた白衣、白冠という喪服を重ねあわせてみれば、歴史という大河に流れ去った一片のねぶかの存在とはなんであったのか、おのずと明らかである。
 蕪村が中国の故事に関心があったことはあきらかで、そこから生まれた句の風景は超大さをもっている。
 「指南車を胡地に引き去る霞かな」
 ここに気の遠くなるような広大な天地が描かれており、雰囲気は漢の時代であるが、指南車という、車上の木像の仙人の手が常に南を指すといわれている車をつくったのは、黄帝である、、ということになっている。
 
 漢といえば、蕪村の句にこういうのもある。
 「畑うちや法三章の札のもと」
 漢の高祖が、秦の首都に軍をすすめたとき、秦のわずらわし法律を全廃し、殺人、傷害、盗み、だけを罰することにし、
--法は三章のみ。(史記「高祖本紀」
と、述べたことに材をとっている。
 むろん蕪村は史記のなかだけから句の主題をえらんだわけではない。
 それでもに史記は彼の境地を高め、広げたことに違いはなかろう。




 空前絶後の道
兵をはやく目的の地点に着かせるためには、まっすぐで幅の広い道路があれば、便利である。
兵車(戦車)が軍の主力であった春秋時代、軍が進むときは、工作兵が先行して、道を拓いた。
川があれば橋をかけた。
たとえば五万の軍がいれば、そのうち二万は工作兵である。
いや、その二万には輜重(軍事物資の輸送) の兵もふくまれるから、非戦闘員であるといったほうがよいかもしれない。

その春秋時代ににつづく戦国時代の中期に、趙の武霊王が北方の異民族との戦争では兵車がさほど有効でないことを認識し、直接に馬に乗ることを指導した。
このあたりから戦いの方が様変わりしたにちがいなく、騎兵と歩兵が軍の主力となったから、工作兵の数が軍全体でどのような比率になったのかはわからないが、とにかく変化はあったようである。
が、兵車がなくなったわけではない。
なんといっても、平原では兵車は威力を発揮する。
中国が秦の始皇帝に統一されたあと、国内における戦争はやむんだが、北方の異民族の侵入をふせぐ戦いは残っていた。

始皇帝は北境で異変があったとき、すぐに大群をそちらにむかわせることを考え、軍事用の直進道路の建設を思い立った。
かれは土木建築にその嗜好のすべてがあるといってよいほど、狂ったように宮殿を増産したが、ここでもその情熱が道路にそそがれた。
「数十乗の兵車が横にならんで直進できる道をつくれ」
と、命じた。
これはすさまじい。
現代におきかえると、四,五十台のタンク(戦車)が横一列に並んだ幅の道路とおもえばよいであろう。
実際に、始皇帝はそれをつくらせたのである。

約160メートルの幅をもつ道路が、北に向かってのびた。
史記にその記事を求めると、こうである。
--道を除(はら)い、九原より雲陽に抵(いた)る。山を塹(ほ)り谷を埋め、直にこれを通す。
九原から雲陽まで地図上の直線距離でも600キロを超えている。
空前絶後の高速道路である。
つくったのは武将の蒙恬である。
この道路はいまは埋没してあとかたもないようであるが、数十キロ程度は残っていると雑誌でよんだことがる。
秦帝国が潰えたたら、道も消えたということであろう。
道はその次代の血管かもしれない。




● 中国古典文学大系より



【付】

始皇帝 -勇壮なる闘い-
http://www.youtube.com/watch?v=_wopxABlzZ0&feature=related




「大秦帝国」予告
http://www.youtube.com/watch?v=U8tkza1Rb08






[ ふみどころ:2012 ]



_