2012年5月30日水曜日

★ 日本沈没第ニ部:小松左京+谷甲州

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● 2011/11/06[2006/07]



 あとがき

 映画「日本沈没」が、33年ぶりにリメイクされた。
 その同じ時に33年間待たせた『日本沈没 第二部』が完成し、出版できたのは、全く幸運なことである。

 そもそも昭和48年(1973年)に出版された『日本沈没』第一部を書き始めたのは、昭和39年(1964年)、東京オリンピックの年だった。
 悲惨な敗戦から二十年もたっていないのに、高度成長で浮かれていた日本に対して、このままでいいのか、ついこの間まで、「本土決戦」「一億玉砕」で国土も失いみんな死ぬ覚悟をしていた日本人が、戦争がなかったかのように、「世界の日本」として通用するのか、という思いが強かった。

 そこで、「国」をうしなったかもしれない日本人を、「フィクション」の中でそのような危機にもう一度直面させてみよう、そして、
 日本人とは何か、
 日本とはどんな国なのか
を、じっくり考えてみようと、という思いで、『日本沈没』を書きはじめたのである。
 したがって、
 国を失った日本人が難民として世界中を漂流していく
ことが主題だったので、当初はタイトルも「日本漂流」とつけていた。

 しかし、日本を沈没させるまでに9年間もかかり、出版社がこれ以上待てない、ということで、「沈没」で終わってしまった。
 そして、「第一部 完」としたのである。

 それから「第二部」執筆のために、世界中をルポして回ったり、気象学者や海洋学者、食糧問題、人口問題の専門家などに聞いて『異常気象』というノンフィクションをまとめたり、私としてはいつもこの作品の完成を念頭に持ち続けていた。
 しかし、私自身の周辺も忙しくなり、そうこうしているうちに、世界情勢も大きく変わってきた。
 日本の「経済大国」も頂点を極めたあと、下落の道をたどり、マイナス成長の辛酸も味わった。
 米ソの二大体制も崩壊し、中国の台頭、民族、宗教の対立も先鋭化してきた。
 1990年代にはいると「地球温暖化」という言葉で、地球環境への関心も広がり、私がずっといっていた
 「地球生命としての人類」
 「宇宙の知的生命体としての人類」
という概念も、だいぶ理解してもらえるようになってきたと思う。
 このような「世界」で「日本人」が生きていくことの意味がますます問われ、「第二部」を待望するこえが強くなってきたが、如何せん、私は70歳を過ぎ、体力的にも自ら執筆することが不可能になっていた。

 しかし、古希を記念して始めた『小松左京マガジン』によって、多くの人たちの力を借りながら、知的活動をすることが可能なことを知った。
 そこで、『日本沈没 第二部』もプロジェクトチームを組んで取り組めば、完成させることができるかもしれない、という気になった。
 実際に動き始めたのは、2003年の11月からである。
 SF作家の森下一仁君のほか何人かに集まってもらい、執筆者としてSF作家の谷甲州君、というチームである。
 2~3カ月に一度か二度、場合によっては明け方まで事務所で議論し、必要な専門家のお話を聞くために出かけたり、事務所に来ていただいたりした。
 大きな枠組みとテーマは私が当初から考えていた構想に基づき、あと、具体的な人物設定、物語は皆で検討しながら、最後は執筆者の谷甲州君に任せた。
 そしてで出来上がったのが、この作品である。

 実際にネパールで国際協力事業に携わったこともある谷君らしく、現場の雰囲気をよくつかみ、壮大な物語を一年あまりで書き上げた体力は、大したものである。
 また、「沈没」から25年後の世界情勢は現代社会を反映し、現在我々が直面している「人類」としての問題を的確に捉えている。
 とても一人では達成することの出来なかった難行を、こうして多くの人々の協力によって成し遂げ、ようやく長年の肩の荷を下ろすことが出来た。
 感謝に堪えない。
 
 ここにあらためて、谷君はじめチームのメンバー、そしてご協力いただいたすべての皆様に心から御礼を申し上げたい。
 とりわけ、谷君の努力には、深甚なる感謝と敬意を捧げたい。
 本当にありがとう。
 
 2006年7月 小松 左京












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