_
● 2011/04/10[2008/02]
『
後世の21世紀研究者たちは、きっと
『ひとつの区切り』
をつけると確信していることがある。
『インターネット前』
『インターネット後』
という区切りである。
昭和23年(1948)生まれの私は、まことにいい時代を通り過ぎてきた。
理由は、それ以前には存在していなかった文明の誕生の場に、いくつも出会ってきたからだ。
たとえばテレビがそうだ。
記憶が正しければ、郷里高知でテレビ放送の受信が可能となったのは、昭和34年(1959)4月の、皇太子時代のご成婚パレートのときだ。
それ以前にも、高知の電器店にテレビは置いてあった。
が、映っていたのは砂嵐。
目を凝らすと、その砂嵐のなかに、かすかに映像らしきものが見えた。
クラス仲間に、呉服屋のひとり息子、タケシがいた。
タケシの家には、はっきりとは映像の映らないテレビが置いてあった。
「なんぼ金持ちゆうても、あんな見えにくいもんを買うて、どうする気やろう」
当時のテレビ一台の代金は、母子家庭だった我が家の年収を超えていた。
「タケシの親は甘いきに、欲しいといわれたら、なんでも買いゆうがや」
悪ガキどもは、陰でタケシを散々に言いながらも、砂嵐のなかのかすかな絵を見に出かけた。
タケシの親が出してくれる生菓子が目当てだった。
ある日突然、テレビがきれいな映像を映すようになった。
高知市内の五台山にテレビ塔が建ち、本格的な放送が始まったからだ。
砂嵐の画面が、映画館の銀幕同然に変わったときに受けた、あの衝撃。
社会人になったあとも、数々の驚きを味わった。
電話のダイヤルがプッシュボタンに変わった。
プッシュホン以前は、番号の『1』が重宝がられた。
ダイヤルが一番速く戻るから。
プッシュホンでは『1』を重用する意味がなくなった。
あれにも驚いたぜよ。
初めてのファックスで。
原稿そのものが、電話線の中を飛んでいくと思った人が、身近にいた。
テレビもプッシュホンもファックスも、出現したことで世の中が劇的に変化し、暮らしぶりまで変わった。
テレビは茶の間を映画館に変えた。
フッシュホンは、電話機を「話す道具」という枠から解き放った。
ファックスは情報のやりとりから、物理的距離を消滅させた。
「原稿取り」のしごとを駆逐した、ともいえる。
文明は、まさに日進月歩だ。
こうしている間にも、新製品が開発されている。
が、余に出てくる製品の多くは、いわば「改良品」である。
概念すら存在しなかった製品の出現ではない。
いい時代を過ごしてきたと書いた。
そのわけは、世の多くの人が想像もしなかった「道なる文明の利器」の誕生に、幾つも居あわせてこられたからだ。
インターネットは、いまの20代、30代の人が体験できた、数少ない「未知との遭遇」だと思う。
この文明は、誕生してからまださほどに年月を経ていない。
にもかかわらず、もはや「インターネット以前」の世には、戻れない。
携帯電話は、ひとを饒舌にしたと思う。
町を歩きながら、他人の耳があるところで、臆面もなく、声高に。
電話機があれば話をするのは、ヒトという生物の性(さが)、かもしれない。
インターネットは、ヒトの顕示欲を激しく刺激する、のだろう。
発表の手段を得たときに、ヒトはいったい何をするのか、したのか。
後世の格好の研究テーマとなる気がしてならない。
』
[ ふみどころ:2012 ]
__