2012年6月21日木曜日

:インターネット

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● 2011/04/10[2008/02]



 後世の21世紀研究者たちは、きっと
 『ひとつの区切り』
をつけると確信していることがある。
 『インターネット前』
 『インターネット後』
という区切りである。

 昭和23年(1948)生まれの私は、まことにいい時代を通り過ぎてきた。
 理由は、それ以前には存在していなかった文明の誕生の場に、いくつも出会ってきたからだ。
 たとえばテレビがそうだ。
 記憶が正しければ、郷里高知でテレビ放送の受信が可能となったのは、昭和34年(1959)4月の、皇太子時代のご成婚パレートのときだ。
 それ以前にも、高知の電器店にテレビは置いてあった。
 が、映っていたのは砂嵐。
 目を凝らすと、その砂嵐のなかに、かすかに映像らしきものが見えた。
 クラス仲間に、呉服屋のひとり息子、タケシがいた。
 タケシの家には、はっきりとは映像の映らないテレビが置いてあった。
 「なんぼ金持ちゆうても、あんな見えにくいもんを買うて、どうする気やろう」
 当時のテレビ一台の代金は、母子家庭だった我が家の年収を超えていた。
 「タケシの親は甘いきに、欲しいといわれたら、なんでも買いゆうがや」
 悪ガキどもは、陰でタケシを散々に言いながらも、砂嵐のなかのかすかな絵を見に出かけた。
 タケシの親が出してくれる生菓子が目当てだった。

 ある日突然、テレビがきれいな映像を映すようになった。
 高知市内の五台山にテレビ塔が建ち、本格的な放送が始まったからだ。
 砂嵐の画面が、映画館の銀幕同然に変わったときに受けた、あの衝撃。
 
 社会人になったあとも、数々の驚きを味わった。
 電話のダイヤルがプッシュボタンに変わった。
 プッシュホン以前は、番号の『1』が重宝がられた。
 ダイヤルが一番速く戻るから。
 プッシュホンでは『1』を重用する意味がなくなった。
 あれにも驚いたぜよ。
 初めてのファックスで。
 原稿そのものが、電話線の中を飛んでいくと思った人が、身近にいた。

 テレビもプッシュホンもファックスも、出現したことで世の中が劇的に変化し、暮らしぶりまで変わった。
 テレビは茶の間を映画館に変えた。
 フッシュホンは、電話機を「話す道具」という枠から解き放った。
 ファックスは情報のやりとりから、物理的距離を消滅させた。
 「原稿取り」のしごとを駆逐した、ともいえる。
 文明は、まさに日進月歩だ。
 こうしている間にも、新製品が開発されている。
 が、余に出てくる製品の多くは、いわば「改良品」である。
 概念すら存在しなかった製品の出現ではない。
 
 いい時代を過ごしてきたと書いた。
 そのわけは、世の多くの人が想像もしなかった「道なる文明の利器」の誕生に、幾つも居あわせてこられたからだ。
 インターネットは、いまの20代、30代の人が体験できた、数少ない「未知との遭遇」だと思う。
 この文明は、誕生してからまださほどに年月を経ていない。
 にもかかわらず、もはや「インターネット以前」の世には、戻れない。

 携帯電話は、ひとを饒舌にしたと思う。
 町を歩きながら、他人の耳があるところで、臆面もなく、声高に。
 電話機があれば話をするのは、ヒトという生物の性(さが)、かもしれない。

 インターネットは、ヒトの顕示欲を激しく刺激する、のだろう。
 発表の手段を得たときに、ヒトはいったい何をするのか、したのか。
 後世の格好の研究テーマとなる気がしてならない。







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