● 1969/03/15
柳田国男は文章の宝庫である。
あれもこれも、書きとめておきたいことが山のようにある。
とはいえ、それはできない。
よって、腹をくくって「一切載せない」とつもりで読んでいたのだが、やはり「それでは、むごい」
単行本や小説ではない。
何しろ四十年以上も昔の本。
字も小さく、ぎっしり詰まっている。
一日二日で読みきれるシロモノではない。
蛍光ペン片手に、マーキングをかけていく。
分からぬ文章は二度三度読み返すことになった。
コツコツと少しづつ目を通して、やっと読み終えた。
折角だから、読みきったことを何か残しておきたい。
ということで、さて最後に載っている「魂の行くへ」の最後の部分をタイプすることにした。
まさに、最後の最後の文章である。
『
魂の行くへ
とにかく記録文献の上では、法師の干与した行事だけが早く現はれ、家々の魂祭が遥かに遅いばかりに、この風習までが外来のもののやうに、久しく断定せられて居たのだが、これほど大きな仏法の影響の下でも、なを日本固有の考えは伝はわって居る。
百年二百年の遠い先祖が、毎年この日になると元の家に還り、生きた子孫の者と交歓するということが、果たしてあの宗旨で説明し得られようか。
山へ戻って次の年の初秋に、迎へに来るのを待って居るといふものが、実際に仏法のホトケなのであらうか。
日本を囲ねう(イギョウ?:辞書になし)したさまざまの民族で、死ねば途方もなく遠いとおい処へ、旅立ってしまふという思想が、精粗幾通りもの形を以って、大よそは行きわたって居る。
独りかういう中に於てこの島々にのみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷をの山の高みから、長く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念して居るものと考え出したことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りも無くなつかしいことである。
それが誤ったる思想であるかどうか、信じてよいかどうかは是からの人がきめてよい。
我々の証明したいのは過去の事実、あまたの幾月にわたって我々の祖先がしかく信じ、更にまた次々に来る者に同じ信仰を持たせようとして居たということである。
自分もその教えのままに、そう思って居られるかどうかは心もとないが、少なくとも死ねばすなわちコスモポリットになって、住みよい土地なら一人きりで、何 処へでも行ってしまはうとする信仰をを奇異に感じ、夫婦を二世の契りといひ、同じ蓮の台(うてな)に乗るという類の、中途半端な折衷説の、生れずに居られ なかったのは面白いと思うふ。
魂になってもなほ生涯の地に留まるといふ想像は、自分も日本人である故に、私には至極楽しく感じられる。
出来るものならば、いつまでも此国に居たい。
そうして一つの文化のもう少し美しく開展し、一つの学問のもう少し世の中に寄与するやうになることを、どこかささやかな丘の上からでも、見守って居たいものだと思ふ。
昭和24年の9月5日、この月曜日は、松岡約斎翁が亡くなられて、ちゃうど53回目の忌辰である。
翁は仏教は信じられなかったが、盆の魂祭は熱心に続けて居られた。
(昭和24年12月)
』
[ ふみどころ:2012 ]
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