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● 2007/12/25[2007/9/20]
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お兄ちゃんとお姉ちゃんは、最初はまきふん公園の近くの神社の横の公園で生活していた。
だけど、その場所では知り合いに会う危険性が高いため、万博ちかくのタコ公園というところに生活の拠点を移していた。
どおりで、神社の横の公園に何度いっても居なかったはずである。
タコ公園の近くには民家が少ないため、人に会う危険性が少なかったようだ。
当時、まだ携帯電話などはそんなに普及していないし、そんな物を買う余裕もないので常に連絡がとれるわけでもない。
お兄ちゃんとお姉ちゃんは拠点が同じだけで、いつも一緒に居たわけではなかったようだ。
お兄ちゃんのバイト代もあるし、バイト先のコンビニから余った食べ物を分けてもらったりしていたので、食べ物の苦労はまだましだったようだが、寝床には苦労したらしい。
お兄ちゃんはバイトが無い日はお姉ちゃんと一緒に過ごし、バイトがある日は深夜働いて、仕事が終わると公園で寝るか、卒業した学校の先生に相談して、その学校の何処かで寝かせてもらっていたようだ。
そもそも、僕とお兄ちゃんは男なので、どこでも寝られるが、お姉ちゃんは女なのでそういうわけにもいかない。
寝床で一番苦労したのは、お姉ちゃんだった。
お兄ちゃんと一緒のの夜は公園でも安心して寝られるが、一人だとそうはいかない。
人通りの少ない公園に来る人は怪しく見えてしまうし、万が一襲われたら助けを求める人はいない。
お兄ちゃんがバイトでいない夜は寝るわけにはいかず、公園に居るわけにもいかず、朝までずっと一人で街を歩きまわっていたらしい。
こんな状況に追い込まれ、精神的疲労はピークな上に、お兄ちゃんの居ない日が続くと、寝られない日が続く。
肉体的な疲労のピークで、歩いているとフラフラになり、意識が朦朧としてくるらしい。
あまりの眠気に歩道を歩いていたはずだが、気がつくと車道を歩いていてドキッとしたことは何度もあったみたいだ。
ある夜、眠気に限界がきて、歩き続けるのが困難になったとき少し休もうと選んだのは、お兄ちゃんが働くコンビニの裏にある小さなマンションの階段の踊り場だった。
何かあれば、すぐにお兄ちゃんのコンビニに逃げ込める。
外からもしゃがんでしまえば見えない。
すこしだけの休憩のつもりだったが、あまりの疲れで寝てしまった。
朝、部屋から出てきたそのマンションの住人と思われる20代後半から30代前半の男性に起こされた。
何気なく家を出て階段を降りて来たら、踊り場に人が倒れていたら、さぞかしびっくりしたことだろう。
死んでいるかと思っただろう。
生きているかを確認すると、その男はお姉ちゃんをお越して、なんでこんなところに寝ているのか聞いてきたらしい。
返答に困るお姉ちゃんをみて、行くところがないことを察したらしいその人は、「俺の家で寝るか?」と聞いてきた。
お姉ちゃんは怖くなって、返事もせずに急いでその場を離れた。
少し寝て体力が回復していなければ判断を誤り、その人の家に入っていたかもしれない。
その人がただの良い人であれば何の問題もないが、悪い人なら監禁でもされて一生忘れることのできない傷をつけられていたかもしれない。
こういう事態にならなくて本当に良かった。
本当に本当によかった。
こんな環境ではあったが、最悪の事態には陥らずに済んでいた。
そんな生活に限界を感じたお姉ちゃんは、昔住んでいた団地のご近所さんの河内さんという人の所に泊めて欲しいと頼みにいった。
この河内さんはたまたま親戚のおばちゃんと知り合いで、昔よくしてもらっていた。
河内さんはお姉ちゃんがそんなことを言ってきたので、親戚のおばちゃんに話して、お姉ちゃんをその親戚の家で暮らせるように手配してくれた。
ここまで読んだ人は、
「最初から親戚の所に行ったらええやん!」
と思うだろうが、それが出来ない理由があった。
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最近、お姉ちゃんにこの話をしたら、全く憶えていなかった。
自分がどういう経緯で親戚の所に泊めてもらうことになったのかということを。
ほぼ無意識に近い極限状況で行動していたのだ。
そこまで限界に追い込まれていたことを思うと、やはり家がないことで一番苦労したのは、お姉ちゃんだっただろう。
親戚はもちろん、僕とお兄ちゃんも一緒にきていいと言ってくれた。
僕は友だちのところに居ることになっていたし(そのときはまだ、よしやに会う前だったので、実際には公園に居た)、お兄ちゃんはバイト先が遠くなるので、居住空間の安定よりもバイト先への通いやすさを優先して断ったみたいだ。
お兄ちゃんはそのときは、一人で生活していた。
』
[ ふみどころ:2012 ]
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