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● 2007/12/25[2007/9/20]
『
当てもなく、しばらく歩いた。
気がつくと子供のときによく遊んだ、見覚えのある公園の前に立っていた。
「まきふん公園」だ。
この公園、何故「まきふん公園」かというと、一風変わった滑り台があった。
この一風変わった滑り台に由来する。
市としては、巻貝をモチーフに中を繰り抜いて、遊べるようにした滑り台を作りたかったと思うが、剥げた茶色という見た目も助けて、「まきまきウンコ」にしかみえなかった。
それで「まきふん公園」という、いかにも子供がよろこびそうな愛称がついた。
まきふん公園に流れ着いた僕は、疲れていたのでとりあえずベンチに腰をおろした。
ベンチに座った瞬間に緊張の糸が切れたのか、急激に眠くなった。
なんの迷いもなく、僕はウンコの中に入った。
昼間あんなに暑かったのに、夏のウンコは予想以上にひんやりとしていて寝転がるととても気持ちよく、家のなくなった僕を歓迎してくれているようだった。
公園生活、初日の朝。
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次の日。
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さらに次の日は空腹により目が覚めた。
胃がヒリヒリと痛かった。
お金がないことにはどうにもならないので、お金を探し歩いた。
幸運にも、公園からすぐ近くの自動販売機の下で500円玉を見つけた。
とても感動的な出会いだ。
ものすごい衝撃が頭から爪先まで走り抜けた。
煌々と光り輝いて見えた。
その眩しさに目をくらませつつ手を伸ばした。
それからの数日は基本的に、お金を探す毎日だった。
何も食べるものがなく、困り果てているとき目に飛び込んできたのは、公園の草。
その草が食べれるのかなんて全くわからないが、何か口に入れなければ待っているのは死である。
とりあえず草を食べてみる。
草は苦くて緑臭くて美味しくなかった。
草だけの日もあった。
草はどれだけ食べても対して腹は膨れず、飽きもすぐにきて、見るのもうんざりしてくる。
そんなとき、目に飛び込んできたのはダンボールだった。
もしかしたら食べられるかもと、ダンボールを食べたこともあった。
そのままでは食べられなさそうだったので水に濡らした。
おひたし的発想だったけど、味はおひたしには程遠くクソ不味かった。
臭くてたまらなかった。
とても飲み込めなかったけど、それでも空腹は少し紛れた。
<子どもの襲撃:ウンコのオバケ>
<排便>
<野良犬>
<洗濯>
公園生活を初めて一ヶ月弱がたったある日の夕方、お金を探して歩いていると、一人の友だちに会った。
この出会いが田村三兄弟を救う出会いになるとは、そのときは微塵も思いはしなかった。
その友達とはクラスメイトの川井よしや。
一度は適当に喋って別れようと思ったのだが、腹が減っていたので、ご飯だけでも食べさせてもうおうと思って、
「家、無くなってん。
ほんでメッチャ腹へってんねやん。メシ食わしてもらわれへんかな?」
よしやはさすがに驚いて、
「マジで!?
家無くなったん? なんでや?」
よしやはそれ以上余計な詮索はしなかった。
「ほな、家おいでや。
おかんに飯作ってもらうわ」
「かまへん?
助かるわ! ありがとう!!」
「ご馳走様でした」
も、ちゃんと言って、ご飯の後の談笑も済んで、みんなが明日のことを考え始める時間になった。
最高の時間ともお別れである。
僕の今の家は公園。
大きなウンコが目印の公園なのである。
つかの間の安らぎ、つかの間の奇跡ともお別れである。
そろそろおいとましようと立ち上がった瞬間、よしやが言った。
「たむちん、今日は止まって帰りや。
ずっとこの家におりいや。」
信じられなかった。
公園に荷物を置いたままだったので、取りに行くことになった。
公園に着いたらついたで、複雑な気持ちになった。
短い期間だったけど、いろんなことがあった。
この公園ともお別れ。
嬉しくもあり、少し寂しくもあった。
子どもの襲撃にあったとき、盾になって僕を守ってくれたウンコ。
暑くて寝苦しい夜に、優しく子守唄のように僕を冷やして寝かしつけてくれたウンコ。
不安で泣きそうなときに、僕を温かく包んでくれたウンコ。
ウンコは母であり、父でもあった。
ウンコよ、ありがとう。
ウンコよ、永遠なれ。
そしてウンコよ、さようなら。
いつの日か、僕がまた家が無くなることがあったなら、そのときはまた、あなたの中に帰らせてください。
』
[ ふみどころ:2012 ]
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