2012年8月19日日曜日

:成長のひずみ(2)

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● 2005/08/25[2005/07/20]



 国務院発展研究センターが2002年に明らかにしたところによると、貧富の格差を示すジニ係数は、1980年には「0.33」だったが、1994年に警戒ラインの「0.4」を突破した。
 すでに、「0.45」を超えたという。
 中国における格差拡大には4つの特徴がある。
①.第一に、収入格差の拡大が速い。
②.第二に、異なる社会集団間に格差が存在する。
  とくに都市と農村の格差、業種間の格差が大きい。
③.第三に、民衆の格差に対する不満が強烈である。
④.第四に、格差が引き続き広がる傾向にある。

 中国のWTO加盟の影響がまもなく顕在化する。
 多国籍企業の対中進出が加速すると、脆弱な国内企業は経営不振となり、失業者が増加する。
 GDPが一人当たり1,000米ドル(日本の1/30)の現段階から5,000米ドルに向かう段階は「格差拡大期」だという。
 中国ではこれまで「GDP万能論」であった。
 GDP(国内総生産)さえふえれば、あらゆる一切の問題が解決できると考えてきた。
 しかし、このところ
 「成長率だけが、常に公平をもたらし安定を保証するわけではない」
という考え方も増えてきた。
 経済成長を続けてはいるものの低収入層は依然として多く、国有企業のリストラ労働者や収入が伸びない農民たちは強い不満を感じている。
 中国には経済成長の重圧感が蔓延しており、成長の果てしなき追求により、「集団疲労感」が生まれている。

 中国に存在する格差には
1,都市内部
2,都市と農村
3,地域間
4,業種間
の4種である。

 都市部には繁栄のイメージが強いが内部格差は広がっている。
 2002年の都市部最高収入層の収入は最低収入層の8倍だった。
 1992年には3.3倍である。
 農村においては2002年は9.3倍で、1990年では6.7倍であった。
 都市と農村の格差も拡大している。
 農村は人口では大半を占めるが、収入は少なく消費できない。
 農村は人口の6割を占めるが「社会消費財小売額」は37%である。
 人口の4割である都市部は逆に小売額は63%を占める。

 地域間格差については、東西の格差が顕著である。
 GDPでみてみると1991年には1.86倍であったが、2002年には2.47倍になっている。
 浙江省(東)と貴州省(西)では、11年前は2.7倍だったが、いまは5.3倍になっている。
 この地域格差は国有企業改革と関連している、と言われている。
 東部は製造業、中部は農業、西武は天然資源である。

 格差は「分配の不公正」が根源にある。
 経済政策は、高収入層と独占業種に有利になっている。
 格差拡大の背景には、やはり政治の問題がある。
 毛沢東時代の強大化した官僚機構の権力は温存されたまま、鄧小平の市場経済化が始まった。
 それが特権を利用して暴利をむさぼることを可能にした。
 中国ではこれを「権力の市場化」と呼ぶ。
1.資源を配分する政府部門関係者
2.国有企業経営者
3.その」一族と取り巻きたち
は、簡単に権力を市場化することができた。

 最大の利益を得たのは3種類の人間だと指摘されている。
①.社会資源の管理者
  たとえば、国土局、計画局あるいは金融機関の関係者である。
  土地、モノ、カネにかかわる部門である。
  直接賄賂を受け取り、公共を横領するチャンスが多い。
②.国有企業の責任者
  企業の公有財産を私物化できる。
③.権力を金銭に換える能力をもった仲介者。
  私営企業、退職した役人、現職の役人の親族・愛人たちなど
  社会資源の管理者は、仲介者がいてこそ権力を筋繊維換えることができる。

 近年、こうした「社会資源の管理者」や「国有企業の責任者」の逃亡が話題になっている。
 逃亡には、3つのパターンがある。
①.周到な計画を練り、最初に妻子を海外に出す。
  財産を徐々に移転し、最後に自分が辞職して国を離れる。
  人目を引かない。
  準備期間は1~3年。
②.腐敗が発覚して、急いで逃げる。
  しばらく民間に隠れ、チャンスをみて出国する。
  ニセのパスポートや身分証明書は事前に準備している。
  腐敗発覚時の逃亡は予定に入れてある。
③.国外での研修や視察の機会を利用して逃げる。
  妻子を捨てるものもいる。
  靭尾機関は3カ月から1年。
 国有企業の責任者は、国外逃亡するケースがもっとも多い。
 役人の場合は、府局長級幹部が多い。
 目立たないが、権限が多く蓄えたカネも多いからだ。
 ランクが低すぎると、金が少ない。
 ランクが高すぎると、目立ち過ぎる。
 逃亡中の役人は海外で生活が十分に可能となる最小限の金額として、少なくとも数百万元以上である。
 200万元以下では生活が危くなり、1,000万元に達するケースもある。
 
 金銭の流出ルートには2種類ある。
1.ひとつは私営企業家だ。
  彼らは政策の変化をおそれ、金を海外に持ち出す。
  癒着した官僚が失脚すれば、自分も危うくなるからだ。
2.もうひとつは、汚職・収賄・国営企業売却などで設けた公務員だ。
  金を国内におくと摘発されて危ないので、海外に映しマネーロンダリングする。

 逃亡には、金と拠点とパスポートが必要になる。
1.金は収賄によって調達する。
2.拠点は中国と犯罪人引渡し協定がない国を選ぶ。
3.パスポートは、部下に手配させることもある。

 1978年からはじまった中国の経済改革は、一度は共産革命によって「私有財産を公有化」したものを、今度は「公有財産を私物化」するプロセスに進んだ。
 つまり、1949年いらい、中国共産党は暴力を用いて有産階級を消滅させ、1978年以後の改革の中では、中国共産党の権力把握者が権力を利用して自分たちや家族を成金階級に変えた、ということである。
 「誰がこの改革で利益を得たのか
 これを明らかにする興味深い研究データがある。
 社会科学院が2003年に行ったアンケート調査によると
 「どの社会集団が、改革でもっとも多くの利益を得たか」
という問に」対して
1.「党と政府の幹部」:73.4%
2.技術者:12.8%
3.労働者:0.9%
4.農民:0.9%
であった。
 では、
 「もっとも損害をこうむったのは誰か
という問には
1.労働者:67%
2.農民:21%
となった。
 従来は農民が第一位であったが、今回は労働者に変わっている。
 それは国有企業のリストラが進んだためであり、農村と都市の両方に不満層が広がりはじめているということになる。
 現在の経済成長は「偽りの需要」によるものだと言われている。
 なぜなら、「人口の大半を占める農村部の民衆と都市部の低所得者層は収入不足にあえぎ、消費能力の低下に見まわれている」からだ。
 つまり、「権力の市場化」は格差をもたらし、経済成長を停滞させかねない、ということだ。
 
 中国で「あなたは中産階級か」と聞いたところ(学生を除く)、47%が「そうだ」と答えた。
 2004年の調査結果である。
 この調査を手がけた調査員は
 「中国の中産階級は、一部のマスコミと学者が作りだしたイメージ・バブルだ」
と言い切る。
 民衆に「自分は中産階級だ」とおもわせ、「消費ブームを起こすことが企業の狙いだ」という。
 調査によれば、中産階級の「4つの指標」(職業・収入・消費・主観)のすべてをクリアーするものは、人口の4%(学生を除く:人口8億6千万人)の3,400万人にすぎないことがわかった。
 海外では、中国に中産階級は6,000万人と見られているが、実際には6割弱しかいない。
 もちろん、個々の指標でみれば数はずっと多くなるが、真の中産階級とはみなしていないのである。
 海外では中産階級は2010年に1億6000万人に達するという見方もあり、外資企業はそれを期待して中国進出に熱心になっている。
 だが、中国研究者は意外と冷めた見方をしている。

 民衆の不満は、もはや抑えられないところまできている。
 農民や労働者の抗議行動が頻発しているのはそのためなのである。
 早急に是正する措置をとらないと、安定した経済成長も危うい。
 民衆が不満な理由は、不公正が「人為的な制度」によるものだからだ。
 「労働者階級が指導し、労働者・農民の連盟を基礎とする社会主義」(憲法第一条)
という建前は、すでに空洞化してしまっている。




[ ふみどころ:2012 ]



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:成長のひずみ(1)

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● 2005/08/25[2005/07/20]



 日本からみるとき、忘れてはならない2つのポイントがある
①.ひとつは、外から見る中国像には、フィルターがかかっているという点
②.もうひとつは、中国経済は今でも「政治支配の経済」であるという点
である。

 海外の中国論は、総じて中国における中国論より楽観的で、中国はすぐにでも先進国を追い抜くかのように報じている。
 これは、中国を有望なマーケットと期待しているからである。
 特に日本では、近年の「中国特需」もそうした期待感を増幅してきた。
 だが中国では、成長のひずみから民衆の不満の鬱積しており、中国の指導者は決して楽観視してはいない。
 政治面においても腐敗などによる党の統治力低下に危機感を感じて、「湿性能力の向上」をスローガンに打ち出しているほどだ。
 さらに本質をつかみにくい背景には、中国当局の報道管制という要因がある。
 上海の高層ビルはうんざりするぐらい目にする一方、頻発している農民や労働者の抗議行動は見えてこないということが常に起こっている。
 われわれが目にするのは「検閲済みの中国像」なのだ。

 中国経済は一党独裁下の
 「官僚主導型擬似市場経済」、つまり
 「政治化された経済」
だという点は、意外と忘れ去られている。
 とかく「市場経済」という言葉が先走り、あたかも中国が市場経済の論理で動いていると勘違いしやすい。
 だが、「社会主義市場経済」という言葉が示すように。形容詞付き市場経済、つまり
 「政治が支配する市場経済」
なのである。
 もちろん、「政治化された経済」が国家の資源を集中的に投下した結果、急速な経済成長を可能にしたという側面はある。
 同時に、これからは逆にこれが足かせになり得るという事実がいま次第に明らかになりつつあるのである。

 近年、中国経済のバブル傾向が話題になっている。
 政府はバブル崩壊を恐れ、「マクロコントロール」とやばれる引き締め策で、行き過ぎた投資を抑えようとしている。
 過剰な投資の原因は、過剰な銀行融資である。
 人民元の切り上げを見込んで海外から大量のマネーが流入している。
 人民元預金が増え、供給過剰になっている。
 銀行は預貸金利ザヤを稼ぐため、盛んに融資を拡大してきた。
 中国政府は、不動産や自動車、鉄鋼関連に投資が集中し、この分野の生産過剰が深刻になっているため、調整局面に入ると資金の回収ができなくなり、銀行の不良債権が増大するということに危惧している。
 潤沢な銀行預金を元手にした融資ができなくなれば、資金繰りが苦しくなり、投資そのものが収縮する。
 過剰投資は生産過剰をもたらし、企業の利潤減少を引き起こす。
 その結果、企業は経営不振となり、大量に融資した銀行は資金の回収ができず不良債権が増大する。
 銀行融資にたよった投資活動によって支えられてきた経済成長の根底が崩れてくるわけである。
 
 こうした「中国版バブル」は、「経済問題」というより「政治問題」である。
 地方政府は投資を拡大すればGDP数値があがり、役人の昇進につながるため中央政府の指示に従わない。
 リスクの高い過剰な投資の背景には、地方政府の「政治的衝動」があるため、中央政府による完全なコントロールは難しい。
 もっとも、根底には中央政府自身が「経済成長は最大の政治任務」としてきたため、地方政府が数字のつじつま合わせをするという一面があり、その意味でこれは政治システム全体の問題なのである。
 
 過剰投資のもう一つの結末は財政赤字のぞうかである。
 政府主導の投資は必然的に財政赤字をもたらす。
 中国の経済成長は大きな代価を払っている。
 財政は、金融とならぶ中国経済の中長期的な不安定要因である。
 1997年ノアジア通貨危機や98年の長江洪水で中国経済が失速したとき、景気刺激策として1000億元の特別建設国債を発行した。
 以後、「積極財政政策」の名の元に国債が継続的に発行され、成長率を維持する役割は果たしたが財政赤字は増加した。
 そのつけは末端の農村部に回されており、県・郷鎮の財政は危機的状況にある。
 医療・教育などの公共サービスも満足に提供できず、農民の政府に対する不満をたかめる原因になっている。

 国民の消費力が弱いため、経済成長を維持するには投資に過度に依存するしかない。
 その資金は、主に銀行融資と国債かtら調達される。
 つまり、中国の経済成長は銀行と国家財政が維持し、最終的なリスクも金融と財政が請け負うということだ。
 金融と財政が支えきれなくなれば、成長も失速してしまうことになる。

 外資の動向も成長の行方を左右する要因である。
 外資導入は2003年に5,000億米ドルを超え、GDPの4割異常を占める。
 2003年の中国貿易総額は、世界第4位だが、貿易依存度(GDPに占める貿易額の割合)は70%に達し、先進国の3倍以上にもなる。
 鉄鋼は生産量では世界一だが、先進国からの3,700万トンの鋼材を輸入している。
 これは先端技術がなく、特殊鋼を作れないためである。
 
 商務省の研究者によれば、外資依存の衝撃は主に3つある。
①.第一に輸出が急増し貿易摩擦が生じること。
②.第二に外資の収益送金が増加し、経常収支の黒字維持が困難になること。
③.第三に外資に拠る輸出増大と直接投資で外貨準備が増えること。
  米国国債を大量購入してはいるが、海外投資の収益は少ない。

 外資依存の例としてよく取り上げられるのが自動車産業である。
 2002年の自家用車の生産台数は、前年より30万台増加したが’、その6割はノックダウン(製品の主要部品を輸入して組立る)方式だった。
 これは「小さな投資で素早く暴利を得る」という誘惑に負けたと批判されている。
 ノックダウン方式の3つの弊害があげられている。
①.第一に大量の部品を国外から輸入するので、部品メーカーが育たないこと。
②.価格が高くなるので消費者の負担が増加すること。
③.組立では開発設計能力が育たないこと。
 さらにはすでに、自動車生産は過剰になりつつあると言われている。

 国家統計局関係者は自動車産業には3つの制約があると指摘する。
①.第一に自主開発能力がないこと。
②.企業が小規模で分散していること。
③.自動車ローンの整備、駐車場不足などの消費環境が悪いこと。
 もっとも、「自主開発能力の欠如」は自動車産業だけではない。
 それは中国の産業全体がが抱える問題である。
 かっては対外開放すれば「外資から技術を学べる」と期待されていたが、最近では「国内市場を外資に開き、技術と交換する」という政策は破綻されたとの見方が主流になりつつある。
 たとえば装置産業(鉄鋼業、石油化学工業など、生産が大規模な装置で行われ、自動化されている産業)については「15~20年」の差があり、他の産業でも同様だと中国側は認識している。
 とくに知的所有権がからむ中核技術が足りないことを気にかけている。

 官僚やホワイトカラーといった頭脳労働者は地位が高く、「手足を使う者は、人に使われる」という儒教の伝統的価値観の影響で、熟練技術工が足りないという問題もある。
 1996年には4467校あった技術学校は、2002年には3792校と6年間で15%減ってしまった。
 親は子どもに官僚や社長、教授になることを期待しており、技術工になってほしくないと思っている。
 そんも結果、企業が大卒を探すのは容易だが、技術工がみつからないという人材ミスマッチが生じている。
 政府はこの問題に気づき対応に追われているが、すでに10年の人材の断層が生じており、さらに工業化の足を引っ張ると心配されている。

 かってメキシコ、ブラジル、アルゼンチンなどラテン諸国は「奇跡の高度成長」をとげた。
 しかしその後、市場、金融開放や格差の拡大が原因で経済危機が発生した。
 中国のゆくえを予測するとき、旧ソ連とラテンアメリカの経験が大いに参考になる。
 前者は「共産主義国家の市場経済化」
 後者は「発展途上国の市場経済化」
の難しさである。
 1960年代初頭に、ソビエトはアメリカの2倍のスピードで経済成長した。
 「計画経済はついに機能し始めた」と世界が驚嘆した。
 しかし、その後60年代半ばには失速し、長い停滞期に入り、そして社会主義国は崩壊した。
 中国もソ連と同じく資本と労働力の大量投入による「粗放型成長」である。
 韓国やタイなどとは異なり、アジア通貨危機は回避できたが、それは金融が開放されていなかったからにすぎない。
 
 中国研究者は、中国が警戒すべきラテンアメリカの経験は次の5つだとみている。
①.第一に工業生産力が破壊された点。
 対外開放を急ぎすぎたため、外資に席巻され、競争に敗れた興行関連企業が数多く破産した。
②.第二に経済改革をしたのに雇用が増えずに、逆に減った点。
 産業構造が高度化’しても雇用は増加しなかった。
③.貿易不均衡。
 輸出は増加したが、輸入はそれを上回った。
④.技術力が弱かった点。
 研究開発せず外国からの技術導入に頼ってしまった。
⑤.金融開放のタイミングを誤った点。
 中国が「人民元切り上げ」に慎重なのは、全面市場化とグローバル化に突入したとき、金融面からほころびが生じることを怖れているからだ。

 これまでは、政治は独裁であっても経済成長が達成できた。
 資本と労働力の単純な投入であれば、独裁でも可能であろう。
 「政府は審判なのに、同時にプレイヤーでもある」と批判されている。
 つまり、自分で規則をきめて、自分で絵プレイーするということだ。
 立法・行政・司法の三権を支配する党官僚、あるいはその一族がビジネスに手を出せば、市場経済は正常に機能しない。
 市場経済の発展を支える起業家精神も技術革新も生まれない
 中国企業は、日本、韓国、台湾とは異なり、技術への長期投資ができていない。
 技術は資金投入だけではうまくいかない。
 研究機関、金融機関、ビジネスパートナー、顧客との横のネットワークが必要である。
 横のネットワークが、情報・資金・製品・人材を自由に流動させるからこそ、技術の商品化が可能になる。
 いまの中国で、それは可能なのか。

 中国共産党はあらゆる組織を支配する。
 産業界も例外ではない。
 企業が共通利益のために連携することは不可能だ。
 起業家は共産党や官僚機構と関係をつけるしかない。
 地方の党官僚が「地元の利益」にこだわるのは、賄賂が得られるからであり、自らが会社を所有し経営しているからである。
 投資で雇用をふやせば、社会と政治が安定するため、党中央自身が投資を奨励するという一面もある。
 地方が競い合って同じ分野に投資し、大量の浪費が生じているが、党は経済政策より政治的安定を優先するため、それを承認することになる。

 行政命令で動く経済は、上から「止めろ」と号令を出せば、一斉にストップする。
 逆に自由にやらせれば、需要を無視して無制限に生産を続ける。
 中国では「管理すれば失速し、自由にさせれば混乱する」(一管就死、一放就乱)という言い回しがある。
 これこそが「官僚経済」であり、コストに敏感な民間企業主導の「市場経済」ではない。
 
 政治支配の経済から市場経済への転換での最大の抵抗勢力は、利権集団化した「政府部門」である。
 行政権力で確保した利権が脅かされるからである。




[ ふみどころ:2012 ]



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:官が民を食いつぶす

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● 2005/08/25[2005/07/20]



 絶対権力が腐敗を生み出すことは世の常である。
 中国においては、党書紀があらゆる権力を一身に集めた「皇帝」である。
 しばしば地方では独立王国を形成し、腐敗の温床となる。

 地方高官の腐敗に大して、地方の紀律検査委員会や司法機関は介入できない。
 たとえ中央紀律検査委員会が直接介入しても、事後監督に終わってしまう。
 1996年から地方の視察をはじめたが、メンバーは各官庁から臨時に寄せ集められたものであり、詳しく調査することは不可能だった。
 視察は臨時的な措置に過ぎず、長期的には政治・司法体制の保障がなければ、腐敗は解消されない。
 現状では汚職摘発機関と司法機関は党委員会支配下にあるため、チェック機能を発揮できない。
 そして、党委員会は党書記の絶対権力に支配されている。
 党委員会が常務委員会(党書記を含む)という権力中枢をチェックすることは不可能である。

 司法機関も脆弱である。
 地方では、国有企業や政府部門が敗訴することはほとんどない。
 裁判官が政府の圧力を受け、独自の判断を下せないからだ。
 公安の地位が検察と裁判所よりも高い。
 公安・検察・裁判所は統治のための道具である。
 このランクが、法・検・公の順になるかどうかが鍵である。
 公安が司法を支配する体制は、変えてはならないということだ。
 裁判所の判決は、党政法委員会書記の許可が必要になっている。
 また当書紀の命令に背けば裁判長は更迭される。
 裁判所は行政部門化しており、人事は地方党委員会が取り仕切る。
 裁判では地方政府に有利な判決になるようにできている。

 党による法の支配の問題は、経済活動に影響をおよぼす。
 「法治の第一の役割とは、政府の行為を制限することにある。
 政府の行為が制約を受けないならば、経済に自由はない。
 政府の経済への干渉は、政府自体では制御できない」
 政治に従属した司法は、一党独裁の維持には好都合だが、経済成長にとっては足かせとなる。
 これまで党は、絶対権力を維持するために法を支配下に置いてきた。
 だがそれは浄化作用をさまたげ、いわば自家中毒を起こしている。
 放置すれば
 一党独裁が容認されてきた唯一の根拠である経済成長
までもが危うくなる。

 中国共産党は
 「一党独裁で市場経済は可能か
という根本的な問いかけに、改めて直面しているのである。

 中国企業は「公有制経済」と「非公有制経済」の2つに分類される。
 私営企業は非公有制経済のひとつである。
 私営企業は、
 「企業資産が私有で、従業員8人異常を有し、営利性を持つ経済組織」
と規定されている。
 私営企業は1982年から、ゼロの状態から「重要な構成部分」と認められるにまでなった。
 だが、いまでも私営企業の立場は微妙である。
 「社会主義市場経済の重要な構成部分」と定義されてはいるが、その発展を「激励し、支持し、導く」にとどまっている。
 制度面では、政府は国有企業を強化し、大量の資源をつぎ込む。
 国有企業の工業生産額にしめるシェアは3割まで落ち込んだが、国有企業への投資額は6割を維持している。
 銀行融資の7割は国有企業向けである。
 だが、実際には国有企業は重要な社会的役割を果たしていることも無視できない。
 納税額は約4割を占め、私営企業は約5%に過ぎない。
 
 政府の対応から見えてくるものは、
 「社会を管理する権力を持ち続けたい」
という強い欲求だ。
 いかなるものも、「許可なしに」権力を行使することは許さない。
 政権の支配を受けない自立的な組織が民間に生まれることを懸念している。
 「史上経済化は、民間の権限拡大をもたらす」
という現実との折り合いがつかない。
 政府が経済の管理をやめ、独立した司法制度を確立し、金融システムを商業化することで民間企業も発展するが、そのためには、政府自信が特権を放棄しなければならない。
 「中国経済の問題とは政治」ということが見えてくる。

 政府による経済支配は深刻である。
 私営企業が役人に賄賂を贈る理由として最も多いのが、
①.融資の口利き
②.プロジェクト
③.土地売買認可
④.証明書の発行
の4つがある。
 それが全体の約7割を占める。

 財政収入源だった国有企業の売却が進むにつれ、今度は政府自信が営利活動に従事するようになった。
 いわゆる政府機関の創収(独自に収入を得ること)である。
 政府機関の多くはこの「創収」に忙しい。
 一般には、政府収入は税収に拠るが、中国の場合は主なるものは
 国有企業が上納した利潤
である。
 いかなる場合も、政府機関みずから経営活動にかかわってはならないとされているが、実際は当たり前のことになってしまっている。
 その結果、
 奇妙な現象があらわている。
 政府所有の国有企業が赤字を抱えている(1/3は明らかに赤字、1/3は不明と言われる)のに、政府機関が儲けているのである。
 政府、警察、学校、さらには解放軍までもが会社を経営している。
 
 政府部門が財政資金を使って会社を立ちあげ、競争領域で民間企業を差し置いて儲けている。
 これは、政府権力の乱用による「官営資本」である。
 職権を利用して財政資金を投入し、少数の人間がメリットを得る。
 利益を得るのは、株主としての政府部門である。
 さらに、儲けは財政収入にはならず、職員の給与に化ける。
 財政資金を使って会社を運営しながら、財政には還元しない仕組みになっている。
 このような「官営資本」の存在そのものが、民間企業の発展を阻害している。

 このような現実は、最終的に何をもたらすのか。
 長期的に問題になるのは、健全な市場経済を確立することができず、競争力のある民間企業が育たないということになる。
 世界トップ企業ランキングにかろうじて入るのは、国有独占企業である。
 それも石油・通信・金融などである。
 技術力に裏付けられた製造業ではない。
 結果として、中国では外資系企業の存在感が強まっていく。
 中国企業の競争力は低く、輸出でみると外資の占める割合が増加傾向にある。
 1980年代末、輸出に占める外資の割合は9.4%にすぎなかったが、1990年代には15%、2002年には52%となっている。
 工業生産では1990年代はじめは、外資が工業生産総額に占める割合は7%だったが、2002年では30%ほどに達している。
 「中央政府と地方政府は、外資と協力し、自己の独占利益を強化しようとしている。
 国民とわけようとしていない」
 という批判も出ている。

 政府による経済支配は、腐敗を生み出す温床でもある
 あらゆる権限が政府に集中するなかでは、私営企業家は、政府関係者と関係をつけなければ競争に勝ち抜けない。
 その結果、両者の癒着がはびこり、とどまることを知らなくなる。
 私営企業家が政府に圧迫され、不安であるかぎりは長期的な投資は行わなくなる。
 地味な製品開発や技術革新にも資金を投入する意欲は沸きにくい。
 政府と一度摩擦が生じれば、「おとりつぶし」のリスクすらある。
 結局は短期的な行為に走ることになり、企業の競争力はつきにくい。

 証券市場ですら、政府の意思で動いている。
 市場に流通している株は全体の1/3にすぎない。
 2/3は政府が押さえている取引できない国有株なのである。
 証券市場は、圧倒的な持ち主である政府と、多数の小口投資家とに分断されている。
 多くの小口投資家は政府の情報操作に踊らされている存在にしかすぎない。
 政府の株式支配は、国有企業を買収から防衛するためだ。

 国有企業不振の最大要因は、政府支配下の「官僚企業」であるため、経営が不透明になり効率の悪さが目立つ。
 国有企業は「政治的使命」を負わされた官僚組織である。
 「経営者に所有権はないが権限はある」といわれるように、「内部者支配(インサイダーコントロール)」も国有企業の特徴である。
 国有企業のトップは、驚くほど大きい権限をもっている。
 人事権を握り自由に採用できるので、身内で固め私物化をはかるのが容易だ。
 一銭も投資せずに巨額の企業資金をプロジェクトにつぎ込んで、利益を得るのである。
 「稼いでさようなら」
 「権力はあるときに使え、期限切れになると無効だ」。
 これが国有企業トップのモットーだといわれている。
 政府をバックにした国有企業は、権力の象徴でもある。
 その内部事情は「国家機密」なみの扱いで、外からはうかがい知ることはできない。




[ ふみどころ:2012 ]



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★ 中国激流 13億のゆくえ:興梠一郎

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● 2005/08/25[2005/07/20]



 新華社通信発行:瞭望東方周刊(2004/08/05号)
 「中国の発展は、臨界点に近づいている」より

 純粋な市場経済のモデルによれば、一定レベルまで発展すると臨界点に達する。
 その臨界点を克服すれば、欧米のように全体に豊かになれる。
 だが、失敗すれば、ラテンアメリカのように貧富の格差が拡大し、不安定になる

 ラテンアメリカ化のもうひとつの問題は、世界経済との一体化を強調し過ぎたことだ。
 技術、資金、管理面で先進的な一部の企業は世界の仲間入りをしたが、他は徹底的に置き去りにされた。

 上流社会は世界経済に参入したが、5割の人間はどん底に落ち込んだ。


 朱よう基首相:2001年

 中国最大の問題は三農(農業・農村・農民)である。
 問題はおそろしく多い。
 農民問題はやりにくい。
 歴代の王朝の滅亡は、すべて農民蜂起が原因である。
 農民が安定しなければ、国家は安定しない。
 だが、中央政府は農村にない。

 農村問題、つまり農民問題は、中国の行方を左右する中国問題そのものといっても過言ではない。

 農民が餓死することもなくなったいま、なぜ農民に関心があつまっているのか。
 それは「農民による抗議運動が頻発し、農村が政治的危機に直面している」からだ。
 農民は、人口としては最も多いが「顔のない存在」である。

 抗議活動が活発化した背景には、以下のような事情がある。
①.政府と農民が独立した利益団体になり、その利害が一致しなくなっている。
②.農産物増産で価格が下がり、農民の収入が逆に減った。
③.中央政府は農村統治の目的で、末端レベルまで行政機関を設け、行政人員を配置したが、その人件費を負担せず、農民に押し付けた。
④.農村で矛盾が解決できないため、農民は大量に都市に流れ込んだが、その結果として、出稼ぎ労働者と都市住民のあ亀裂が強まった。

 農村問題の根底には、党への権力集中の仕組みがある。
 農民代表が選挙で選ばれたとしても、それはナンバー2に過ぎない。
 そのトップにいる党書記は、民衆の選挙で選ばれはしない。
 結局、党による支配体制が変わらなければ、民意を反映した新の民主選挙は難しい。

 出稼ぎ労働者は産業労働者の3割まで占めるまでになっている。
 農民一人あたりの年収に占める出稼ぎ収入も4割に達している。
 農村経済の都市工業への依存度が高まってくると、経済成長が止まると、農村にまで大きな影響をもたらすというリスクが出てきている。 

 農村での生活が苦しく、農業で十分な収入がエられないから、農民たちは都市に出稼ぎに出る。
 農村が疲弊している原因は、長年の都市重視・農村軽視の政策にある。
 中国の経済成長とは「農村を犠牲にした都市の反映」
ともいえる。
 それは、
①.農業への財政サポートの不十分
②.農村金融の空洞化
 農業銀行を含む4大国有商業銀行はすべて農村への貸付業務を減らしている。
 融資の5%しか農業関係に融資されていない。
③.医療などの衛生面の問題
 人口の6割を占める農村部への政府の衛生関連支出は2割で、人口比で4割の都市部が8割を享受している。
 同じく医薬品は95%が都市で、農村は5%しか消費していない。
 医療保険についても、農民の9割はカバーされず、治療は自己負担になっている。
 そもそも農村の財政難とは、かなりの部分、公務員の人件費の負担に拠っている。

 労働人口の半数を占める農民の数を減らして、、農業生産の効率を上げるという方向性もあるが、その剰余の労働力を吸収する都市や工業にも限界がある。
 農業の余剰労働力は、人口の10%以上にあたる1億5千万人もいる。

 中国史をみればわかるように、王朝末には必ずといっていいほど
 「都市の繁栄と農村の疲弊」、
 「貧富格差の深刻化」
が引き金となって民衆動乱が発生し、王朝が崩壊するというパターンを繰り返している。
 これから中国が安定を維持しながらも、引き続き発展していくことができるかどうか。
 そのカギとは、都市の高層ビルにあるのではない。
 その影に隠れた
 「広大な農村」
にあることだけは確かである。

 都市部の場合、土地は国家(実際は地元政府)が所有しており、個人には所有権はない。
 農村の場合は、農民が集団所有する。
 開発に際しては国有(政府所有)に名義変更される。
 いずれにあっても、個人はどうすることもできない。

 立ち退きを迫られた場合、保証金は建物だけに支払われる。
 いわゆる「レンガと瓦代」である。
 しかし、不動産会社は土地使用権の金額も入れて販売する。
 これにより、安く買い上げ高く売ることが可能になり、とてつもない暴利を得ることができる。
 地上げについては、政府と不動産会社は「利益共同体」になっている。
 不動産会社は取り壊しを政府関係業者に委託する。
 政府・不動産会社・評価機関・取り壊し業者はすべて一体となった「官僚資本」なのである。
 政府が土地の所有権を有する、という立場を利用して、身内の不動産会社に優先的にしよう権を譲渡する。
 補償額は、やはり身内の評価機関が算出する。
 取り壊しも身内が行う。
 まさに官による露骨な開発ビジネスにほかならない。

 立法や行政面でも官僚集団に有利になっており、住民には不利である。
 過去の計画経済体制のもとでは、「個人は国家の利益に服従する」とされていたため、立ち退きに関する法令もそれに基づきて制定されている。
 根底には、私有財産が否定されているため、市場経済を導入したが、あいかわらず私有財産は保証されないのである。
よって土地使用権譲渡の許認可権を握った「地主」の政府と、業者が利益を独占できる仕組みになっているのだ。

 強引な地上げは「失地農民」の増加をもたらしている。
 多数の農民が土地を失い、仕事にもありつけず、流民化する減少が目立ちはじめている。
 農民は、土地を失うと最低限の社会保障が失われてしまう。
 国営新華社通信によれば、土地を失った農民は全国に「3,500万人」いるという。
 2030年には失地農民は「1億1000万人」に達するとみられている。
 うち5,000万人は、土地もなく仕事もない状態に置かれる可能性、があるという。

 農村の現地政府は都市部と同様できるだけ安値で収用し、高値で売ろうとする。
 なぜなら、それが政府の収入になるからだ。
 通常、土地取引では、政府が60~70%、村が25~30%の利益を得る。
 そして農民には5~10%しか配分されない。

 農村の地上げは、農民だけの問題だけでなく、最終的には耕地の減少、少量不足という問題を併発する可能性がある。
 中国政府もそれを懸念している。
 2002年8月、国土資源部は
 「食料生産を維持するには、100万Km2(中国国土面積の約一割)の農地が必要」
と発表した。
 中国の人口は、今でも毎年800万人から1,000万人増えており、30年後には16億人に達すると予想されている。
 必要とする耕地面積を一人あたり「670m2」とすれば、16億人では「100万Km2」必要になるというわけである。
 
 だが、開発区の乱立で耕地面積は激減している。
 国土資源部の調査結果では、1996年には「130万Km2」であった耕地面積が、2002年末には「126Km2」に減少している。
 6年ほどで「4万Km2」が失われている。
 この勢いで減り続けると、30年後には限りなく100万Km2に近づく。
 資源部は「十数億の人口を抱える中国では、食料自給率の確保は、経済発展と社会の安定の土台」だと述べている。

 このすさまじい地上げの背景には、政府が土地取引という錬金術にとりつかれている、という実態がある。
 国土資源部によれば、ここ数年、地方政府の土地譲渡収入は毎年平均450億元(5,600億円)であったが、同時期の住民への保証は91億元(1,100億円)だった。
 県のレベルでは土地譲渡収入が財政収入の半分を締めているところもある。
 もはや地方政府は土地ビジネスなしには立ちゆかないのである。

 問題の根源は、住民の財産権を保証する法律がないということによる。
 「憲法」には2004年3月の全人代で、
 「合法的な私有財産は侵犯されない(13条)」と新たな規定が加えられたが、これにからむ私有財産を保証する法律は制定されていない。
 よって、住民が憲法を盾にとって立ち退きや取り壊しに反対しても、裁判所で受理もされない。

 一人っ子政策の影響で、中国都市部の家庭は子どもへの投資を惜しまない。
 進学校に子どもを入れようと、学校を選ぶいわゆる「択校熱」(学校選択ブーム)も激化している。
 中国の教育は、富裕層に有利なエリート教育化しつつある。
 裕福な家庭の子どもは中高生の段階で海外留学する例も少なくない。
 だが一方で大衆教育への投資は不十分のままだ。
 そもそも、教育への財政支出は世界水準よりも低い。
 2000年の時点でも、GDPの約3%だ。
 世界平均は5%である。
 なかでも義務教育への支出は少なく、義務教育を受ける子どもは全体の78%であるが、そこへの支出は52%しかない。
 とりわけ農村では、64%に対して50%だった。





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2012年8月3日金曜日

:付録 本、映画、テレビドラマ

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● 2007/12/25[2007/9/20]


Wikipediaより。

 『ホームレス中学生』(ホームレスちゅうがくせい)は、田村裕(麒麟)による自叙伝。2007年8月31日にワニブックスより刊行。

 2007年8月31日に発売。自身の幼少時代から相方、川島明との出会いまでを描いた自伝。
 表紙は、田村が公園で生活していた時期に食べたことのあるダンボールをモチーフにしている。
 2008年10月時点で225万部を売り上げており、ワニブックス史上最高の売り上げを記録した。
 この人気を受けて急遽メディアミックス化。漫画・映画・ドラマが制作された。

 コミックスは2008年1月17日に発売され、韓国や台湾でも出版されることが決定した。
 同年4月24日には続刊が発売された。
 よしもとファンダンゴとウェブドゥジャパンによって、携帯電話向け「麒麟・田村の貧乏脱出超作戦」も配信されている。
 また、田村の兄である田村研一が著した『ホームレス大学生』がワニブックスより2008年10月10日に発売された。
 初版は3万部を予定している。
 本作もドラマ化されている。

 【映画】
 2008年10月25日に東宝の配給により公開。
 上映時間116分。興行収入6.2億円。
 なお、同日にまったく別の作品である『ホームレスが中学生』(城定秀夫監督)が上映開始された。

 【テレビ】
 2008年7月12日に、フジテレビ系列の『土曜プレミアム』内で放送された。
 放送時間は、21:00 - 23:25(JST)。 
 原作と一部の登場人物の名前や作品の設定が多少異なっている。
 また2009年4月12日には第2弾が放送された。

 『人志松本のすべらない話』に田村が出演した際に自身の悲惨な生い立ちを語って爆笑を取ったのを見た編集部が田村に依頼したのが本作執筆の契機である。
 田村は「山里亮太の著書『天才になりたい』は5,000冊ほどしか売れなかったため、それ以上売れたらいいかと考えていたようで、まさかベストセラーになるとは思わなかった」と発言している。
 仕事が17 - 24時に終わってから、3 - 4時まで執筆していた。
 印税、版権など全て合計で2億円が最終的な金額になるが、税金として1億2千万円が差し引かれ、実際に田村の手元に残るのは8千万円とのことだが、2010年までに全額使い切ってしまっている。
 本作を読んだホームレスたちに、「あんなの、ただのキャンプやんけ!」と言われた。



ホームレス中学生 Trailer


映画:ホームレス中学生
http://www.dailymotion.com/video/xqiwuq_the-homeless-student-2008-part-1_fun
http://www.dailymotion.com/video/xqiwvx_the-homeless-student-2008-part-2_fun
part-3 <<探索中>>
http://www.dailymotion.com/video/xqiwxa_the-homeless-student-2008-part-4_fun
http://www.dailymotion.com/video/xqiwy2_the-homeless-student-2008-part-5_fun




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:お姉ちゃんの苦労

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● 2007/12/25[2007/9/20]







 お兄ちゃんとお姉ちゃんは、最初はまきふん公園の近くの神社の横の公園で生活していた。
 だけど、その場所では知り合いに会う危険性が高いため、万博ちかくのタコ公園というところに生活の拠点を移していた。
 どおりで、神社の横の公園に何度いっても居なかったはずである。
 タコ公園の近くには民家が少ないため、人に会う危険性が少なかったようだ。
 当時、まだ携帯電話などはそんなに普及していないし、そんな物を買う余裕もないので常に連絡がとれるわけでもない。
 お兄ちゃんとお姉ちゃんは拠点が同じだけで、いつも一緒に居たわけではなかったようだ。

 お兄ちゃんのバイト代もあるし、バイト先のコンビニから余った食べ物を分けてもらったりしていたので、食べ物の苦労はまだましだったようだが、寝床には苦労したらしい。
 お兄ちゃんはバイトが無い日はお姉ちゃんと一緒に過ごし、バイトがある日は深夜働いて、仕事が終わると公園で寝るか、卒業した学校の先生に相談して、その学校の何処かで寝かせてもらっていたようだ。
 そもそも、僕とお兄ちゃんは男なので、どこでも寝られるが、お姉ちゃんは女なのでそういうわけにもいかない。
 寝床で一番苦労したのは、お姉ちゃんだった。

 お兄ちゃんと一緒のの夜は公園でも安心して寝られるが、一人だとそうはいかない。
 人通りの少ない公園に来る人は怪しく見えてしまうし、万が一襲われたら助けを求める人はいない。
 お兄ちゃんがバイトでいない夜は寝るわけにはいかず、公園に居るわけにもいかず、朝までずっと一人で街を歩きまわっていたらしい。
 こんな状況に追い込まれ、精神的疲労はピークな上に、お兄ちゃんの居ない日が続くと、寝られない日が続く。
 肉体的な疲労のピークで、歩いているとフラフラになり、意識が朦朧としてくるらしい。
 あまりの眠気に歩道を歩いていたはずだが、気がつくと車道を歩いていてドキッとしたことは何度もあったみたいだ。

 ある夜、眠気に限界がきて、歩き続けるのが困難になったとき少し休もうと選んだのは、お兄ちゃんが働くコンビニの裏にある小さなマンションの階段の踊り場だった。
 何かあれば、すぐにお兄ちゃんのコンビニに逃げ込める。
 外からもしゃがんでしまえば見えない。
 すこしだけの休憩のつもりだったが、あまりの疲れで寝てしまった。
 朝、部屋から出てきたそのマンションの住人と思われる20代後半から30代前半の男性に起こされた。
 何気なく家を出て階段を降りて来たら、踊り場に人が倒れていたら、さぞかしびっくりしたことだろう。
 死んでいるかと思っただろう。
 生きているかを確認すると、その男はお姉ちゃんをお越して、なんでこんなところに寝ているのか聞いてきたらしい。
 返答に困るお姉ちゃんをみて、行くところがないことを察したらしいその人は、「俺の家で寝るか?」と聞いてきた。
 お姉ちゃんは怖くなって、返事もせずに急いでその場を離れた。
 少し寝て体力が回復していなければ判断を誤り、その人の家に入っていたかもしれない。
 その人がただの良い人であれば何の問題もないが、悪い人なら監禁でもされて一生忘れることのできない傷をつけられていたかもしれない。
 こういう事態にならなくて本当に良かった。
 本当に本当によかった。
 こんな環境ではあったが、最悪の事態には陥らずに済んでいた。

 そんな生活に限界を感じたお姉ちゃんは、昔住んでいた団地のご近所さんの河内さんという人の所に泊めて欲しいと頼みにいった。
 この河内さんはたまたま親戚のおばちゃんと知り合いで、昔よくしてもらっていた。
 河内さんはお姉ちゃんがそんなことを言ってきたので、親戚のおばちゃんに話して、お姉ちゃんをその親戚の家で暮らせるように手配してくれた。

 ここまで読んだ人は、
 「最初から親戚の所に行ったらええやん!」
と思うだろうが、それが出来ない理由があった。
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 最近、お姉ちゃんにこの話をしたら、全く憶えていなかった。
 自分がどういう経緯で親戚の所に泊めてもらうことになったのかということを。
 ほぼ無意識に近い極限状況で行動していたのだ。
 そこまで限界に追い込まれていたことを思うと、やはり家がないことで一番苦労したのは、お姉ちゃんだっただろう。

 親戚はもちろん、僕とお兄ちゃんも一緒にきていいと言ってくれた。
 僕は友だちのところに居ることになっていたし(そのときはまだ、よしやに会う前だったので、実際には公園に居た)、お兄ちゃんはバイト先が遠くなるので、居住空間の安定よりもバイト先への通いやすさを優先して断ったみたいだ。
 お兄ちゃんはそのときは、一人で生活していた。








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:公園生活

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● 2007/12/25[2007/9/20]





 当てもなく、しばらく歩いた。
 気がつくと子供のときによく遊んだ、見覚えのある公園の前に立っていた。
 「まきふん公園」だ。
 この公園、何故「まきふん公園」かというと、一風変わった滑り台があった。
 この一風変わった滑り台に由来する。
 市としては、巻貝をモチーフに中を繰り抜いて、遊べるようにした滑り台を作りたかったと思うが、剥げた茶色という見た目も助けて、「まきまきウンコ」にしかみえなかった。
 それで「まきふん公園」という、いかにも子供がよろこびそうな愛称がついた。

 まきふん公園に流れ着いた僕は、疲れていたのでとりあえずベンチに腰をおろした。
 ベンチに座った瞬間に緊張の糸が切れたのか、急激に眠くなった。
 なんの迷いもなく、僕はウンコの中に入った。
 昼間あんなに暑かったのに、夏のウンコは予想以上にひんやりとしていて寝転がるととても気持ちよく、家のなくなった僕を歓迎してくれているようだった。

 公園生活、初日の朝。
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 次の日。
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 さらに次の日は空腹により目が覚めた。
 胃がヒリヒリと痛かった。
 お金がないことにはどうにもならないので、お金を探し歩いた。
 幸運にも、公園からすぐ近くの自動販売機の下で500円玉を見つけた。
 とても感動的な出会いだ。
 ものすごい衝撃が頭から爪先まで走り抜けた。
 煌々と光り輝いて見えた。
 その眩しさに目をくらませつつ手を伸ばした。
 それからの数日は基本的に、お金を探す毎日だった。

 何も食べるものがなく、困り果てているとき目に飛び込んできたのは、公園の草
 その草が食べれるのかなんて全くわからないが、何か口に入れなければ待っているのは死である。
 とりあえず草を食べてみる。
 草は苦くて緑臭くて美味しくなかった。
 草だけの日もあった。
 草はどれだけ食べても対して腹は膨れず、飽きもすぐにきて、見るのもうんざりしてくる。

 そんなとき、目に飛び込んできたのはダンボールだった。
 もしかしたら食べられるかもと、ダンボールを食べたこともあった。
 そのままでは食べられなさそうだったので水に濡らした。
 おひたし的発想だったけど、味はおひたしには程遠くクソ不味かった。
 臭くてたまらなかった。
 とても飲み込めなかったけど、それでも空腹は少し紛れた。

 <子どもの襲撃:ウンコのオバケ>
 <排便>
 <野良犬>
 <洗濯>


 公園生活を初めて一ヶ月弱がたったある日の夕方、お金を探して歩いていると、一人の友だちに会った。
 この出会いが田村三兄弟を救う出会いになるとは、そのときは微塵も思いはしなかった。
 その友達とはクラスメイトの川井よしや。
 
 一度は適当に喋って別れようと思ったのだが、腹が減っていたので、ご飯だけでも食べさせてもうおうと思って、
 「家、無くなってん。
 ほんでメッチャ腹へってんねやん。メシ食わしてもらわれへんかな?」
 よしやはさすがに驚いて、
 「マジで!?
 家無くなったん? なんでや?」
 よしやはそれ以上余計な詮索はしなかった。
 「ほな、家おいでや。
 おかんに飯作ってもらうわ」
 「かまへん?
 助かるわ! ありがとう!!」

 「ご馳走様でした」
も、ちゃんと言って、ご飯の後の談笑も済んで、みんなが明日のことを考え始める時間になった。
 最高の時間ともお別れである。
 僕の今の家は公園。
 大きなウンコが目印の公園なのである。
 つかの間の安らぎ、つかの間の奇跡ともお別れである。
 そろそろおいとましようと立ち上がった瞬間、よしやが言った。
 「たむちん、今日は止まって帰りや。
 ずっとこの家におりいや。」
 信じられなかった。

 公園に荷物を置いたままだったので、取りに行くことになった。
 公園に着いたらついたで、複雑な気持ちになった。
 短い期間だったけど、いろんなことがあった。
 この公園ともお別れ。
 嬉しくもあり、少し寂しくもあった。
 
 子どもの襲撃にあったとき、盾になって僕を守ってくれたウンコ。
 暑くて寝苦しい夜に、優しく子守唄のように僕を冷やして寝かしつけてくれたウンコ。
 不安で泣きそうなときに、僕を温かく包んでくれたウンコ。
 ウンコは母であり、父でもあった。
 ウンコよ、ありがとう。
 ウンコよ、永遠なれ。
 そしてウンコよ、さようなら。
 いつの日か、僕がまた家が無くなることがあったなら、そのときはまた、あなたの中に帰らせてください。








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★ ホームレス中学生:田村裕

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● 2007/12/25[2007/9/20]



 家が無くなった。

 それは、僕の想像を超えてた出来事だった。
 13歳の僕には理解しきれなかった。
 中学2年の1学期の終業式の日。
 朝、いつものように起きるとお父さんはもうどこかに出かけていて、5歳上の大学1年のお兄ちゃんは入学してようやく慣れてきたであろう大学に行く準備を、4歳上のお姉ちゃんは大学受験を控えた高校に行く準備をしていた。

 いつも通りの朝。
 僕は僕で中学校に行く準備をして出かけた。
 7月末のその日は朝から暑く、歩いて学校に行くだけでも結構な汗をかいた。
 学校に到着して同級生と顔を合わせ、夏休みの予定など呑気に話した。
 バスケットボール部に所属していたので、部活の練習予定の合間をぬってキャンプに行こうと友達とプランを立てたりもした。
 そんなに遠くに行くわけではなかったのだが、中学生の僕にとってそれは大冒険を意味し、胸踊らせ、心ときめかした。
 やがて終業式のために全校生徒が対区間に集まり、有難みを無くした校長の話が終わり、無事に式を済ませ、帰路に着く。
 家の近い友達と帰りながら夏休みの予定を披露し合い、お互いのお土産を買う約束をして別れた。

 家に着くと、朝出かけたときとは明らかに様子が違っていた。
 そのときは普通のマンションの2階に上がる階段の前で僕を迎えてくれたのは、家の中にあるはずぼ見覚えのある家具たちだった。
 
 2階に上がる勇気が出ずに、野ざらしにされた家具たちをただぼーっと眺めていると、お姉ちゃんが学校から返ってきた。
 状況というか状態を説明し、二人で2階に上がった。
 2階に上がると、ドアは開きっぱなしになっていたが、「差し押さえ」と書かれた異常に存在感のある黄色いテープがクロス状に張られていて、もう家には入れなくなっていた。
 どうやら田村家のお引越しは完了しているらしい。
 住み慣れた家の最後に顔すら見られなかった。
 ふと横を見ると、お姉ちゃんは泣いていた。
 僕は泣くほどにも状況を理解できていなかった。

 しばらくするとお兄ちゃんが返ってきた。
 お兄ちゃんは状況を見て、
 「お父さんの帰りを待とう」
と言った。
 しっかり者のお兄ちゃんが返ってきたことで、お姉ちゃんの涙も止まり、僕も妙な安心感に包まれていた。
 実際、お兄ちゃんも状況を把握しきれず不安だったに違いないが、焦る様子もみせずに落ち着き払っていた。
 もしこの時、お兄ちゃんが取り乱していたら、お姉ちゃんも僕も収拾できないくらいに泣きじゃくっただろう。
 長男というのは大変である。
 三人でお兄ちゃんの指示通りにお父さんの帰りを待った。

 待ち人来る。
 お父さんが帰宅(?)というか、とりあえず帰ってきた。
 笑っているわけでもなく、怒っているわけでもなく、かといって真顔でもない複雑な表情を浮かべていた。
 お父さんは僕達三人を2階へと連れていき、クロス状に張られたテープの前に並べて、まるでバスガイドの名所案内のように手のひらをテープに向けて、こう言った。
 「
 ご覧のように、まことに残念なことではございますが、家のほうには入れなくなりました。
 厳しいとは思いますが、これからは各々頑張って生きてください。
 ‥‥‥‥‥解散 !

 か・い・さ・ん?
 あの」遠足のときに使われる解散?
 ということは、家に帰ればいいのか?
 たった今その言えに入れないと言われたとこなのに。
 全く理解ができなかった。
 お父さんはそれを告げると足早に何処かに去っていってしまった。

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 僕は依然として状況をほとんど飲み込めていないままだったが、このまま一緒にいるとお兄ちゃん、お姉ちゃんに迷惑がかかることだけはわかった。
 「俺は、一人で大丈夫。なんとかするわ」 
 怖くて不安で、「一人にしないで」と言いたくて仕方だなかったが、必至で耐えた。
 一人になることだけが、なんの生産性の無いただの浪費者の僕にできる、唯一の兄姉孝行だと考えた。







[ ふみどころ:2012 ]



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