2012年11月27日火曜日

:ハンニバルとスキピオ、そしてアルキメデス

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● 1993/10/10[1993/08/07]



 宗教を信ずるか信じないかは、所詮は個人の問題である。
 ただ、信ずる者の多い共同体を率いていく立場にある者となると、個人の信条に忠実であればよい、ということにはならない。

 戦争終了の後に何をどのように行ったかで、その国の将来が決まってくる。
 勝敗は、もはや成ったことゆえにどうしようもない。
 問題なのは、それで得た経験をどう活かすかである。

 ローマ人の面白いところは、なんでも自分たちでやろうとしなかったところであり、どの分野でも自分たちがナンバー・ワンでなければならないとは考えないところであった。

 ローマ人は、今の言葉で言う「インフラ整備」の重要さに注目した、最初の民族ではなかったか。
 インフラストラクチャーの整備が生産性向上につながることは、現代人ならば知っている。
 そして、生産性向上が、生活水準の向上につながっていくことも。
 後世で有名になる「ローマ化:ロマニゼーション」とは「インフラ整備」のことではなかったか。
 そして、ローマ人がもっていた信頼出来る協力者は、この「ローマ化」によって、ローマの傘下にあることの利点を理解していた、被支配民族ではなかったか。
 ローマ人の「インフラ整備熱」は、独立した同盟国であろうと属州であろうと、差別はしなかった。
 なにしろ、彼らにとってインフラ整備の主要目的は、軍隊の敏速な移動、にあったのだから。

 マニュアル的で、何事につけてもシステム化することの好きだったローマ人の性向がうかがわれて微笑するしかないが、しかし、ローマ人には、マニュアル化する理由があったのだ。
 指揮官から兵隊から、毎年変わるのである。
 誰がやっても同じ結果を生むためには、細部まで細かく決めておく必要があった。
 ローマ人は徹底していた。
 たった一晩使う宿営地ですら、実に律儀にマニュアル通りに建設したのである。
 また、マニュアルのほうもよく出来ていて、帝政時代になっても変える必要がなかった。
 それどころか、ローマ人は、この宿営地建設のシステムを新都市建設にも適用していくのである。

 責任の追求とは、客観的で誰にでも納得させうる基準を、なかなか持てないものだからだ。
 それで、ローマ人は、敗北の責任は誰に対しても問わない、と決めたのだ。
 それでは戦死した者が浮かばれないではないか、となりそうだが、長期的利点、つまり共同体の利益という視点に立てば充分浮かばれるのである。
 国論が二分していては、国力の有効な発揮は実現しない。
 国論が統一された結果、国力も有効に発揮されれば、犠牲も少なくてすむようになる。
 人間とは、自分自身の犠牲は甘受する覚悟にはなれても、自分の子までが支配階級の無能の犠牲になるのまでは、甘受する気にはなれないからである。



 天才とは、その人だけに見える新事実を、みることのできる人ではない
 誰もが見ていながらも、重要性に気づかなかった旧事実に気づく人のことである。 

 人にとって、これまではずっと有効であったことを変革するくらい、困難なことはない。

 高齢者だから、頑固なのではない。
 並の人間ならば肉体の衰えが精神の動脈硬化現象につながるかもしれないが、優れた業績をあげた高齢者に現れる、頑固さはちがう。
 それは、優れた業績をあげたことによって、彼らが成功者になったことによる。
 年齢が、頑固にするのではない。
 成功が頑固にする。
 そして、成功者であるがゆえの頑固者は、状況が変革を必要とするようになっても、成功によって得た自身が、別の道を選ばせることを邪魔するのである。
 ゆえに抜本的な改革は、優れた才能を持ちながら、過去の成功には加担しなかったものによってしか成されない。
 しばしばそれが若い世代によって成し遂げられるのは、若いがゆえに、過去の成功に加担していなかったからである。





 紀元前213年の春を期して、シラクサ目指して南下したローマ軍だったが、降伏勧告を拒否したシラクサへの攻防戦をはじめてからは、まるで元気がなくなってしまった。
 シラクサが全都をあげて、必死の攻防戦に立ち上がったからではない。
 シラクサの都市部が天然の要害の地に位置していたこともあるが、原因はそれだけではない。
 シラクサにはアルキメデスがいたのである。
 一人の人間の頭脳の力が4個軍団にも匹敵する場合があることを、ローマ人は体験させられることになる。

 攻撃を続ければ続けるほどローマ軍の人的物的犠牲が大きくなるのは、陸側海側を問わなかった。
 顔を見えない敵(アルキメデス考案の新兵器)の活躍に、ローマ兵はすっかり意気消沈してしまう。
 船上で自軍の苦戦ぶりを見ていた総司令官マルケルスは、豪快な性格の男でもあったので、周囲の将官にむかって冗談を言った。
「アルキメデスは、まるで水を満たした杯を放り投げるように、海から船をすくい上げては放り出す。
 サンプカは、宴から追い出された楽師のようだ」
 攻撃用ハシゴは、形が似ているところから、サンプカという楽器の名で呼ばれていた。
 また、演奏が下手な楽師は、宴から’追い出されるのが報酬だった。

 アルキメデスの名は、ローマ軍内でもすでに有名になっていたのであろう。
 マルケレスは、別のときに、
「老いぼれ一人に振り回されるとは何事だ」
と嘆いている。
 数学という、ローマ軍とは別のことながら2200年後の高校生までも悩ませることになるアルキメデスは、その年、75歳前後であったかと思う。
 その年、紀元前213年のシラクサ攻略は、アルキメデス一人のために成らなかったのである。



 ハンニバルとスキピオは、古代の名将五人をあげるとすれば、必ず入る二人である。
 現代に至るまでのすべての歴史で、優れた武将を十人あげよといわれても、二人とも確実に入るに違いない。
 歴史は数々の優れた武将を産んできたが、同じ格の才能をもつ者同士が開戦で対決するのは、実にまれな例である。
 その稀な例が、ザマの戦場で実現しようとしていた。


 優れたリーダーとは、優秀な才能によって人びとを導いていくだけの人間ではない。
 率いられていく人びとに、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。
 持続する人間関係は、必ず相互関係である。
 一方的関係では、持続は望めない。



[ ふみどころ:2012 ]



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