2012年11月11日日曜日

★ 銃・病原菌・鉄:ジャレド・ダイアモンド

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● 2012/03/16[2000/**]



著者というものは、分厚い著書をたった一文で要約するように、ジャーナリストから求められる。
本書についていえば、つぎのような要約となる。

歴史は、異なる人びとによって、異なる経路をたどったが、それは、人びとの置かれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない。


大半の人びとは、人類社会の歴史に見られる大きなパターンについて、詳細かつ説得力があり、納得できる説明を手にするまでは、相変わらず生物学的差異に根拠を求める人種差別的な説明を信じ続けるかもしれない。
私が本書を執筆する最大の理由はここにある。

社会は、環境地理的および生物地理的な影響下で発達する。
当然のことながら、このような考え方は古くからなされてきたが、今日、歴史学者のあいだでは重んじられていない。
誤っているとか、単純過ぎるとか、環境決定論だとか揶揄されてしりぞけられる。
あるいは、人類社会の差異を理解しようとする試みそのものがあまりに困難だとみなされている。
そして、このような課題は棚晒しになるり、まったく追求されていない。
だが、地理的要因が歴史に何らかの影響を及ぼしたことは明白である。
答えが求められているのは、地理的要因が歴史にどれほど影響を与えたかであり、
地理的要因が人類社会の歴史にみられる大きなパターンを説明できるか否かである。



金属器と文字を持つ社会が、金属器も文字も持たない社会を征服し、あるいは絶滅させてしまった。
こうした地域間の差異は人類史を形作る根本的な事実であるが、なぜそのような差異が生まれたのかという理由については、いまだ明らかになっておらず、議論が続けられている。

紀元前1万1千年、最終氷河期が終わった時点では、世界の各大陸に分散していた人類はみな狩猟採集生活をおくっていた。
技術や政治構造は、紀元前1万1千年から西暦1500年の間に、それぞれの大陸ごとに異なる経路をたどって発展した。
まさにその結果が、西暦1500年の時点における技術や政治構造の不均衡をもたらしたのである。

なぜ、人類社会の歴史は、それぞれの大陸によってかくも異なる経路をたどって発展したのだろうか?
人類社会の歴史の各大陸ごとの異なる展開こそ、人類歴史を大きく特徴づけるものであり、本書のテーマはそれを解することにある。
本書は、煎じ詰めれば人類の歴史について書かれたものである。
このテーマは、学術的に興味深いだけでなく、その解明は現実的にも政治的にも非常に有意義なものでもある。
というのも、さまざまな民族のかかわりあいの成果である人類社会を形成したのは、
「征服と疫病と殺戮の歴史」
だからである。

かっての民族間の衝突は、いまもなを影響を及ぼし続けている。
今日でも、問題を抱えている地域では、民族間の衝突がいまだに起こっているのだ。
過去の衝突の影響がいまなを見られるのは、政治・経済の分野だけではない。
現代の言語にも影響は現れている。
たとえば、世界に現存している「6,000」の言語の多くが、いま消滅の危機に瀕している。
これは過去数世紀のあいだに使用人口が急増した英語・中国語・ロシア語が、多くの言語に代って使われるようになったためである。

私は、過去33年間、進化生物学者としてフィールドワークをおこない、さまざまな人間社会に接してきた。
鳥類の進化の研究を専門とし、南アメリカ、南アフリカ、インドネシア、オーストラリア、とくにニューギニアで調査を行なってきた。
ニューギニアに存するものは、きわめて大きな割合で人類の多様性を示している。
現存している世界の6千種の言語のうち「1千種:1,000」はニューギニアでしか使われていない。
ニューギニアで鳥類相の調査をしているとき、鳥の名前のリストを作るために、100種類の異なるニューギニア言語で鳥の名称を聞き出さねばならなかった。
この経験を通じて、私の言語に対する好奇心はかきたてられた。




したがって、オーストラリア・ニューギニアに人類が行くには舟が必要だった。
歴史上、はじめて舟が使用されたことを示すものとして、この地域への人類のもつ意味は大きい。
これ移行に舟の使用がはっきりわかっているのは、その3万年後(いまから1万3千年前)の地中海での証拠しかない。
おそらく、初期のオーストラリア・ニューギニアの住民は、見えるところにある島には渡ろうという意志をもってわたっていったのだろうし、意図せずとも、頻繁に舟を使っていたために、見えないほど遠くにある島々にも移り住むことができたのだろう。
オーストラリア・ニューギニアへの定住は、人類最初の舟の使用とともに考えられるべき出来事である。
これはまた、人類のユーラシア大陸以遠への最初の大規模な移住でもある。
そしてこの定住は、人類による最初の大型動物の絶滅をまねいている。
オーストラリア・ニューギニアの大型動物(メガファウナと呼ばれる)はすべて、人間がわたってきたあと絶滅している。
<<略>>
これがオーストラリア・ニューギニアの大型動物は4万年前に初期人類によって殺戮されてしまったという仮説の根拠である。
この殺戮仮説には、反論がないわけではない。
たとえば、人間によって殺された証拠を示す大型動物の骨が見つかっていないのである。
<<略>>
これらの大型動物の絶滅は、それらを家畜として飼いならす機械を人類から奪ってしまったのである。




 人間社会の展開に影響をあたえうる環境上の要因は大陸によって大きく異なっている。
 もっとも重要な違いは、4つであるように私には思える。

①.まず第一に、栽培化や家畜化の候補となりうる動植物の分布状況が大陸によって異なっていた。
 このことが重要なのは、食料生産の実践が余剰作物の蓄積を可能にしたからであり、余剰作物の蓄積が非生産者階級の専門職を養うゆとりを生みだしたからである。
 発達段階で首長社会を超えるレベルに達した社会は食料生産のうえになりたち、経済的に複雑なシステムを擁して、階級的に分化し、政治的に集権化されていた。
 栽培化や家畜化を行うには、適性のある野生種が存在していなければならない。
 しかし、野生の動植物のうち適性のあるものは少なく、栽培化や家畜化の候補となりうる動植物の数は大陸ごとに異なっていた。
 大陸によって環境がちがっていたり、候補となりうる大型哺乳類が更新世後期に狩り尽くされて絶滅していた。
 オーストラリア大陸と南北アメリカ大陸では、ユーラシア大陸やアフリカ大陸よりもその絶滅は深刻であった。

②.伝播や拡散の速度を大きく異ならしめた要因もまた重要である。
 この速度がもっとも速かったのはユーラシア大陸である。
 それは、この大陸が東西方向に伸びる陸塊だったからであり、生態環境や地形上の障壁が他の大陸よりも比較的少なかったからである。
 作物や家畜の育成は緯度の違いによって大きく影響される。
 東西方向に伸びる大陸では作物や家畜がもっとも伝播しやすかった。

③.3つめの要因は、大陸内での伝播に影響を与えた要因とかかわってくるが、異なる大陸間での伝播に影響を与えたものである。
 大陸間における伝播の容易さは、どこも一様だったわけではない。

④.4つめの要因は、それぞれの大陸の大きさや総人口の違いである。
 面積の大きな大陸や人口の多い大陸では、何かを発明する人間の数が相対的に多く、競合する社会の数も相対的に多い。
 利用可能な技術も相対的に多く、技術を受け入れを促す社会的圧力もそれだけ高い。
 新しい技術を取り入れなければ競合する社会に負けてしまうからである。

 以上の4つの要因が、客観的に定量化できる環境上の大きな違いであることについては異論がないだろう。
 もちろん、こうした環境上の差異を持ち出すのは「環境決定論」であるとお怒りになる歴史学者もいる。
 環境決定論という言い方には、人間の創造性を無視するような否定的なニュアンスがあるかもしれない。
 人間は気候や動植物相によってプログラムされたロボットで、すべて受動的にしか行動できないというニュアンスだ。
 しかしそれはまったくの見当違いである。
 人間に創造性がなかったら、われわれはいまでも、100万年前の祖先と同じように石器で肉を切り刻み、生肉を食べているだろう。
 しかし、発明の才にあふれた人間はいずれの社会にもいる。
 そして、ある種の生活環境は、たの生活環境に比べて、原材料により恵まれていたり、発明を活用する条件により恵まれていた。
 それだけのことである。
 
 今後の方向性としては、まず、定量分析をさらに進め、大陸間の差異をもたらす4つの要因が果たした役割をより明確にすることである。
 また、異なる地域で起こったことを広い時間的尺度のなかで比較する研究は、同じ社会で起こったことを狭い時間的尺度の中で掘り下げる研究とは異なった洞察をもたらしてくれるのだ。





[ ふみどころ:2012 ]



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