● 1996/07/25[1992/07/07]
『
ギリシャ・ローマに代表される多神教と、ユダヤ・キリスト今日を典型とする一神教の違いは、次の一言につきる。
多神教では、人間の行いや倫理道徳を正す役割を神に求めない。
一神教では、それこそが神の専売特許なのである。
多神教の神々は、人間並みの欠点を持つ。
倫理道徳の正し手ではないのだから、欠点をもっていても一向に差し支えない。
だが一神教になると、完全無欠でなければならない。
なぜなら放っておけば手に負えなくなるとされる人間を正すのが、神の役割であったからである。
西暦紀元の前後、ちょうど境目に生きたギリシャ人の歴史家デイオニッソスは、その著作『古ローマ史』の中で次のように言っている。
「ローマを強大にした要因は、宗教についての彼らの考え方にあった」と。
ローマ人にとっての宗教は、指導原理ではなく、「支え」に過ぎなかった。
宗教を信ずることで人間性が金縛りになることもなかった。
デイオニッソスによれば、狂信的でないゆえに排他的でもないローマ人の宗教は、異教徒とか異端の概念にも無縁だった。
戦争はしたが、宗教戦争はしなかった。
一神教と多神教の違いは、ただ単に。信ずる神の数にあるのではない。
他社の神を認めるか認めないか、にある。
他社の神を認めるということは、他社の存在も認めるということである。
ヌマの時代から数えれば2,700年は過ぎているのに、いまだにわれわれは
「一神教的な金縛り」
から自由になっていない。
とはいうものの、人間の道徳倫理や行為の正し手を引き受けてくれる型の宗教をもたない場合、野獣に堕ちたくなければ、個人にしろ国家という共同体にしろ、事情システムをまたなければならない。
ローマ人にとってのそれは、法律であった。
宗教は、それを共有しない人との間では効力を発揮しない。
だが、法は、価値観を共有しない人との間でも効力を発揮できる。
いや、共有しない人との間だからこそ必要なのだ。
人間の行動原理の正し手を、
宗教に求めたユダヤ人。
哲学に求めたギリシャ人。
法律に求めたローマ人。
この一事だけでも、これら三民族の特質が浮かび上がってくる。
神話や伝承の価値は、それが事実か否かよりも、どれだけ多くの人がどれだけ長い間信じてきたかにある。
急速に発展した民族は、衰退も急速だ。
スキャンダルは、力が強いうちは攻撃してこない。
弱みがあらわれたとたんに、直撃してくるものである。
改革の主導者とはしばしば、新興の勢力よりも旧勢力の中から生まれる。
改革というものは、改革によって力を得た人々の要求で再度の改革を迫られるという宿命を持つ。
改革とは怖ろしいものなのである。
失敗すれば、その民族の命取りになる。
成功しても、その民族の性格を決定し、それによってその民族の将来まで方向づけてしまう。
軽率に考えてよい類のものではない。
言葉の力というものは、そうそう馬鹿にしたものではない。
通商とは、異文明との接触である。
接触は情報という形による刺激をもたらす。
そして富は、その刺激を別の形に転化するのに大変便利なものである。
政体の変遷を学ぶには教科書どおりでよい。
しかし、各政体の良否を判断するのは、教科書どおりではいかない場合がある。
政治体制とは、単なる政治上の問題ではない。
どのような政体を選ぶかは、どのような生き方を選ぶかにつながる。
独裁政は、独裁者の才能や性格に左右されないではすまない。
独裁政の欠陥は、それを行使する人物の資質に無縁ではない。
優れた資質に恵まれた人物は、なぜか続けて登場してこないものである。
そして、独裁政の最大の欠陥は、たとえ悪が出てもチェック昨日をもたいないところにある。
いかに低い水準に押さえられようと、明が平等に低い水準にあるなら嫉妬は生じない。
持てる者と持たざる者とに生ずる階級闘争にも無縁でいられる。
戦争は、それがどう遂行され、戦後の処理がどのようになされたかを追うことによって、民族の性格が実によくわかるようにできている。
歴史叙述に戦争描写が多いのは、人類があいもかわらず戦争という悪から足を洗えないでいるからと言うよりも、戦争が、歴史叙述の、言ってみれば人類叙述の、格好な素材であるからだ。
衰退期に入った国を訪れ、そこの示される欠陥を反面教師とするのは、誰にでもできる。
絶頂期にある国を視察して、その国のまねをしないのは、常人の技ではない。
まねしなかったということは影響を受けなかったということにはならない。
模倣しなかったということも、立派に影響を受けたことになる。
自由と秩序の両立は、人類に与えられた永遠の課題の一つである。
自由がないところに発展はないし、秩序のないところでは発展は永続できない。
とはいえ、この二つは、一方を立てればもう一方が立たなくなるという、二律背反の関係にある。
この二つの理念を現実の中で両立させていくのは、それゆえ政治の最も重要な命題となる。
力といっても軍事力しかもたなかったスパルタは、強国になれても覇権国家で在り続けることはできなかった。
スパルタ人には、敗者さえも納得させられる生活哲学がなかった。
スパルタ人のライフ・スタイルは輸出不可能だった。
他国人は「スパルタ式」に魅力を感じなかった。
スパルタ人の生き方は、防衛には適しているだろうが、それゆえに発展には適していない。
スパルタには、秩序はあっても精神の自由がなかった。
「氏と育ち」は、教育制度の充実していない時代にの教育機関である。
勝利の喜びがおさまれば、後には悪い印象だけが残る。
衆愚政とは、人材不足からくる結果ではなく、制度が内包する構造上に欠陥が表面に現れた減少に思える。
』
[ ふみどころ:2012 ]
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