2012年11月17日土曜日

:小規模血縁集団、部族社会、首長社会、国家


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● 2012/03/16[2000/**]



 現在では、自給自足の生活を送っている小規模血縁集団は、ニューギニアやアマゾン川の奥地にしかいない。
 この社会は通常、5人から80人で後世され、メンバーのほぼ全員が血縁関係にあるか、婚姻を通じての親戚関係にある。
 つまり、小規模血縁集団は、1つの大家族か、親戚関係にある家族がいくつか集まって暮らしているグループである。
 アフリカのピグミー、南アフリカのブッシュマン、オーストラリアのアボリジニ、エスキーモー(イヌイット)などのように、ごく最近になって、政府の支配を受け容れたり、同化してしまったり、絶滅してしまった例は多い。
 小規模血縁集団は、人類が進化の過程を通じて、数百万年間継承し続けたただ一つの政治的、経済的、そして社会的組織である。
 これ以外のタイプの集団は、過去数万年のあいだに登場し、発達したものである。

 小規模血縁集団(バンド)につぐ段階は部族社会(トライブ)である。
 この社会は、通常、数百人規模で定住生活をしていることが多く、また、家畜の世話をしながら季節的に野営地を移動する種族や部族も存在する。
 部族社会は、誰もが皆の名前と、自分とどういう関係にある人間かを記憶していられる程度の人口である。
 人間集団においては、互いに顔見知りで、相手の素性を知っていられる人数は「数百」が限度とおもわれる。
 人間が数百人以上の部族社会は、首長社会に変化する傾向がある。
 その原因の一つは、集団が大きくなるにつれて、知らない人間同士の紛争解決がしだいに難しくなってくるからである。
 小規模血縁集団と同様、部族社会には官僚システムがない。
 警察システムも税金もない。
 部族社会は物々交換の経済である。

 小規模血縁集団や部族社会は、国家の支配の及ばない辺鄙な地にいまでも存在している。
 しかし、首長社会(チーフダム)は、国家がもっとも欲しがる土地を占有していたところが多かったため、20世紀初頭までに、すべて絶滅してしまった。
 数千人から数万人が暮らす首長社会は、人口規模において部族社会よりかなり大きい。
 およそ7500年前に首長社会が出現した時、人類は他人と日常的に向きあうなかで、もめごとやいざこざを問題化させずに解決する方法を見つけなければならなかった’。
 権力を行使できる人間を首長(チーフ)だけに限定することは、もめごとやいざこざを問題化させずに解決するには有効である。  



 知っての通り、西暦1492年当時、世界に存在していた社会の大半は、首長社会や部族社会、小規模血縁集団であって国家(ステート)ではなかった。
 国家の成立は、やはり説明を必要とする問題なのである。
 国家の成立の説明としてもっともよく知られる理論は、フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーの提唱した社会契約説である。
 ルソーのいうところの「社会契約」とは、単純な社会よりも国家のほうが幸福になれるとして人びとが下す理性的な判断を意味している。
 したがって、ルソーぼ社会契約説によれば、人びとが理性的判断にもとずき、人民の総意として単純な社会を自ら放棄するとき、国家が形成される。
 しかしながら、歴史上の記録を見る限り、冷静に先見の明を働かして国家が形成された事例は「一つとしてない」
 小規模な人間集団に属する人びとが、自分たちより大規模な集団に併合されようと自発的にみずからの主権を放棄することはないのだ。
 主権の放棄は、征服または外圧によってのみ起こっている。

 社会の併合は、ルソーの提唱するところの社会契約を通じて自動的に起こるものではない。
 それは、
 争いの解決システムや、
 意思決定しシステムや、
 再配分経済システムや、
 体制的宗教システムが
社会契約を通じて自動的に誕生しないのと同じである。
 だとすれば、社会の併合は、何が原因で起こるのであろうか。



 国家とは一般に5万人以上の集団である。
 国家を形成するまでに至った集団は、食料生産によって市民を支えることのできた集団だけである。 人間社会は、食料の生産をはじめたことによって、少なくとも3つの特徴を追加することができた。
①.まず農閑期に開放される農民の労働力が使えるようになったこと。
 それは、ピラミッドのような公共建造物の建設、あるはまた、国土を拡大するための征服戦争が行えるようになった。
②.二番目の特徴としては、食料の生産によって余剰食料が生まれ、その結果、社会階層の形成が可能にとなり、首長階級、官僚階級、エリート階級などが生まれた。
③.三番目に、食料生産は、人びとに定住生活を可能にさせた。
 あるいは、定住生活を要求した。

 食料生産は、人口の増加を可能にし、複雑な社会形成を可能にする。
 小規模血縁集団や部族社会といった集団が、数十万規模の人口の受け皿としては生き残れないこと、既存の大規模社会が複雑に集権化されていること、これらを同説明すればいいのだろうか。
 明確の理由を4つあげることができる。
①.理由の一つは、集団が大きくなるにつれて、他人同士の紛争が天文学的に増大すること。
②.理由の2つめは、人口が増加するにつれ、社会的な意思決定が難しくなること。
③.3つめは、経済的な理由によっても複雑化し集権化すること。
 つまり、集団が経済的に機能するためには、再分配経済システムが発達し、個人の余剰物が権力の手によって、それを必要とする人びとへと再配分される必要があること。
④.大規模な集団の社会性が複雑にならざるをえない理由の4つめの理由は、大人数が暮らす食料生産者の世界は、人口密度が高いことによって、必然的に外部世界との関係を増大させること。
 地域の人口密度が高ければ高いほど、集団あたりの生活面積が減少する。
 そのため、人びとはより多くの生活必需品を、外部から入手せねばならなくなってくる。
 この外部との関係の拡大が複雑な社会性を持たざるをえなくなる方向へおしやっていく。




[ ふみどころ:2012 ]



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:発明と技術:「発明は必要の母」


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● 2012/03/16[2000/**]



 人の脳の作りに人種間の差異がないとしたら、技術の発展が大陸ごとに異なっていることはどう考えればよいのか。
 一つの答えは、非凡な天才が技術を進歩させるという考えである。
 人類の技術の進歩は、そうした個人のによって突然もたらされたようにも見える。 
 グーテンベルグ、ジェイムズ・ワット、エジソン、ライト兄弟など。
 人類の科学技術史は類まれな天才たちが誕生した場所の偶然性によって左右されるものにすぎないのだろうか。

 あるいは、大陸間の技術発展の違いを、発明の受容しやすい社会と、しにくい社会の違いで説明しようとする人びともいる。
 この考え方では、個人の発明の才ではなく、社会全体の受容性が問題となる。
 第三世界には絶望的なほどに進歩に対して保守的な社会がある、と考える人びとが多い。



 まず、発明はどのようになされるかについて考えてみよう。
 これに対する一般的な答えは、「必要は発明の母」という格言で表現される。
 何らかの必要があるときに発明が生まれる、という考え方である。
 「必要は発明の母」で説明できる事例は多い。

 <<事例略>>

 これらの事例はよ広く知られている。
 そしてわれわれは、著名な例に惑わされて、「必要は発明の母」という錯覚に陥っている。
 実際の発明の多くは、人間の好奇心の産物であって、何かを作り出そうとして生み出されたものではない。
 発明をどのように応用するかは、発明がなされたあとに考え出されている。
 一般大衆が発明の必要性を実感できるのは、それがかなり長い間使い込まれてからのことである。 
 数ある発明の中には、当初の目的とはまったく別の用途で使用されるようになったものもある。
 飛行機や自動車をはじめとする、近代の主要な発明の多くはこの手の発明である。
 内燃機関、電球、蓄音機、トランジスタ。
 おどろくべきことに、こうしたものは、発明された当時、これをどういう目的で使ったらいいのかよくわからなかった。
 つまり、多くの場合、「必要は発明の母」ではなく、
 「発明は必要の母」
なのである。
 どんな発明でも最初のひな形は、何かの役に立つほどの性能を示せないことが多い。
 そのため、大衆の需要も乏しく、長期にわたって発明家だけのものであり続けることが多い。
 カメラにしてもタイプライターにしても、テレビにしてもである。



 発明がどのようになされるかについての一般的な見方では、発明とひつようの関係が逆転している。
 また、ワットやエジソンのような、非凡な天才の役割が誇張されすぎている。
 出願者に特許の証明を要求する特許法も、発明は非凡な天才によってなされるという見方を助長している。
 特許法は、先駆者の成功を軽視したりすることで、発明家が経済的利益を得られる下地を与えている。

 あの時、あの場所で、あの人が生まれていなかったら、人類史が大きく代っていた、というような天才発明家は、これまで存在したことはない。
 功績が認められている有名な発明家とは、必要な技術を社会がちょうど受け入れられるようになったときに、既存の技術を改良して提供できた人であり、有能な先駆者と有能な後継者に恵まれた人なのである。

 われわれの考察の結論は、次の2つである。
①.技術は、非凡な天才がいたおかげで突如出現するものではない。
 累積的に進歩し完成するものである。
②.技術は、必要に応じて発明されるものではない。
 発明されたあとに、その用途が見出されることが多い。
 
 この2つの結論が、記録に残っていない古代の技術に、もっともよく当てはまることは確かである。

 中世以降の石油の精製については、19世紀の化学者たちが、中間分留物が灯油として役立つことを発見した。
 しかし、もっとも揮発性の高い分溜物(ガソリン)は、使い道がないものとして捨てられていた。
 ガソリンが使われるようになったのは、内燃機関の燃料として理想的だと分かってからのことである。
 現代文明の燃料であるガソリンもやはり、最初は使い道のない発明として登場しているのである。



 新しい素晴らしい技術が発明されたとしても、社会がその技術を受け入れるという保証はない。
 社会がまったく相手にしなかった技術はたくさんあるし、長い抵抗のすえにやっと取り入れられた技術も山ほどある。
 社会はどんな要因によって新しい発明を受け入れるのだろうか。
 異なる発明がどのように受容されたかを調べてみると、そこには少なくとも4つの要因が作用していたことがわかる。

①.もっともわかりやすい要因は、既存の技術と比べての経済性である。

②.2つ目の要因は、経済性より社会的ステータスが重要視され、それが受容性に影響することである。
 日本人が、効率のよいアルファベットやカナ文字ではなく、書くのが大変な漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いからである。

③.3つ目の要因は既存のものとの互換性である。
 キー配列を効率化したタイプライターがいまだ受け入れられないのはこのせいである。 
 1873年に開発されたQWERTY配列タイプライターは非工学設計の結晶である。
 このキーボードはさまざまな細工をほどこし、タイプのスピードをあげられないようにしてある。
 なぜこうした非生産的な工夫がほどこされたかというと、当時のタイプライターは、隣接するキーをつづけざまに打つと、キーがからまってしまったからである。
 そこでタイピストの指の動きを遅くするためにこのキー配列が工夫された
 それがQWERTY配列である。
 しかし、1993年に、キーの技術的な問題が解決さ、効率のいい配列のキーボードが開発され、試用者によっては速度は2倍に、使いやすさも95%向上することが示された。
 だが、旧キー配列のキーボードは社会的にすでに定着しており、効率のいいキー配列を普及させる運動はことごとく、失敗に終わっているのである。

④.新しい技術の受け入れに影響を与える4つ目の要因は、それを受け入れるメリットの見分けがつきやすいか否かである。



 人類史上には強力な技術を自ら放棄し、その理由がよくわからない社会が存在する。
 われわれは、いったん取得された有用な技術は、それに変わるよりよい技術が登場するまで継続的に使われると考えがちである。
 しかし、現実的な観点からすると、技術は、社会に取得されるだけでなく、維持されなくてはならない。
 そして、技術が社会的に維持されていくかどうかもまた、予測不可能な要因によって左右されることが多い。
 どんな社会にあっても、一時的にな社会運動や社会現象の影響で、経済的に無益なものの価値が上がることがあるし、有益なものの価値が下がることがある。
 もちろん最近では、世界のほとんどの社会が互いに結びついているので、重要な技術が破棄されてしまう現象が実際に起こるとは想像しにくい。
 しかし、他の社会と結びついていない社会では、たとえば江戸時代の日本のように、重要な技術が放棄されてしまう現象が実際起こり、その状態が継続することはある。

 江戸時代の日本で、銃火器の技術が社会的に放棄されたことはよく知られている。
 日本人は、1543年に中国の貨物船に乗っていたニ人のポルトガル人冒険家から火縄銃が伝えられて以来、この新しい武器の威力に感銘し、自ら銃の製造をはじめている。
 そして、技術を大幅に向上させ、1600年には、世界でもっとも高性能な銃をどの国より多く持つまでになった。
 ところが、日本には銃火器の受け容れに抵抗する社会的土壌もあった。
 日本の武士、サムライにとって刀は自分たちの象徴であるとともに芸術品であった。
 また銃は、1600年以降に日本に伝来したほかのものと同様、異国で発明されたということで、所持や使用が軽蔑されるようになった。
 やがて幕府が銃の生産を減らすようになると、実用になる銃は日本からほとんど姿を消してしまった。
 日本が新しい強力な軍事技術を拒絶しつづけられたのは、人口が多く、孤立した島国だったからである。
 しかし、日本の平穏な鎖国も、たくさんの大砲で武装したペリー艦隊の訪問によって1853年に終わりを告げ、日本人は銃製造再開の必要性を悟ることになる。

 この、日本で銃火器が排除された例や、中国で外洋船が使われなくなった例は、孤立した社会や孤立に近い状態の社会において、既存の進んだ技術が後退した事例として広く知られている。



 人類の科学技術史は、自己触媒のプロセスの格好の例である。
 自己触媒の過程においては、ある過程の結果そのものが、その過程の促進をさらに早めるという正のフィードバックとして作用する。
 つまり、新しい技術は、次なる技術を誕生させる。
 ゆえに、発明の伝播は、その発明自体よりも潜在的に重要になる。

 科学技術は、それまでの技術への精通を前提として前進する。
 科学技術はの進展過程が自己触媒的である理由の一つはここにある。
 科学技術の進展過程が自己触媒的であるというもう一つの理由は、新しい技術や材料が登場することによって、新旧のものの組み合わせで別の新しい技術が可能になるということである。




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:文字と言語

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● 2012/03/16[2000/**]



 世界には、文字を発達させた民族と、発達させなかった民族とがいる。
 これほど価値のある文字を、すべての民族が持たなかったのはなぜだろうか。
 文字は、人類の歴史上、何度発明されたのだろうか。
 どういう状況で、どういういう用途のために発明されたのであろうか。
 今日、日本とスカンジナビア諸国では、国民のほぼ100%が文字の読み書きができるが、イラクの国民はそうではない。
 イラクでは約4千年前に文字がたんじょうしているというのに。
 それはなぜだろう。
 
 エジプト、中国、そしてイースター島の例を除いて、歴史上、文字は、シュメール文字化かマヤ文字から派生的に改良されたか、
これらの文字の使用に刺激され考案されたものと思われる。

 文字が使用されるようになるには、その社会にとって文字が有用でなければならない。
 文字の読み書きを専門にする人びとを食べさせていけるだけの生産性のある社会でなければならない。

 文字システムは「実体の模倣」か、「アイデイアの模倣」のいずれかによって一つの社会から別の社会へと広がっていった。
 誰かが何かを発明したとき、それがうまくはたらいていることを知っている人が、わざわざ自分で似たようなものを独自に作りだそうとするだろうか。
 技術や概念といったものは、「実体の模倣」か「アイデイアの模倣」で伝播するのが普通である。

 世界には現代でも、文字のない言語が存在する。
 言語学者は、そうした言語のために「実体の模倣」によって文字システムを作成している。
 具体的には、既存の文字システムのアルファベットを少し修正補足して、目的の言語を取り扱えるようにすることが多い。

 新しい発明や技術は「実体の模倣」によって伝播されることが多い。
 「アイデイアの模倣」とは、他人の成功をヒントに、自分なりに工夫を凝らして一つの成果を創り出す方法である。
 「アイデイアの模倣」によって考案された文字の典型的な例が、1820年ころにアーカンソー州で、セコイヤという名前のチャロキーインデイアンが作った音節文字である。
 セコイアは、白人が紙に記号を書いて記録をとっているのを目にした。
 セコイアは多くのインデイアンがそうであるように読み書きができず。英語をまった知らなかった。
 だから彼にとって、白人たちが記号で何をしているかはずっと謎のままだった。
 それでも、鍛冶屋のセコイアは、ちょっとした絵や図柄を使って、自分の客のツケを書いておく方法を考えだした。
 やがて絵や図柄を大きさの違う丸や線に発展させて、帳簿をつけるまでになった。
 1810年頃、セコイアはチェロキー語の表記法を開発することにした。
 <<略>>

 最終的にセコイヤは、チェロキー語には有限個の音の要素があって、どの単語もそれらの要素の組み合わせで構成されていることに気づいた。
 そして彼は、われわれが音節と呼ぶ要素に着目し、まず、200個の記号を作ってみた。
 やがて彼は、それらの多くを「子音+母音」の組み合わせを表す85個の音節記号にまとめた。
 視覚的な記号の形についてセコイアは、小学校の教師からもらった英語の教本のアルファベットに着目し、そこから約20ほどの文字を借用した。
 しかし、彼は英語をまったく知らなかったので、記号と発音との対応はちぐはぐなものとなった。
 たとえば、彼は英語の「D」「R」「b」「h」を使って、チェロキー語の「a」「e」「si」「ni」の音節を表している。

 セコイアの音節文字は、すぐにチェロキー族の間に広まり、100%の人びとが読み書きできるようになった。
 また、チェロキー族は、自分たちの文字で本屋新聞を印刷することをはじめている。
 セコイアの音節文字は、チェロキー語の発音にうまく対応していること、習うことが簡単だったことから、言語学者の評価も高い。
 セコイアの音節文字は、「アイデイアの模倣」によっても文字が誕生することを見事に示している。



 歴史上、文字を早い時期に手に入れた社会は、文字の曖昧性を減少させる試みを何一つしていない。
 その使い道や使用者層が限定されていたことについても何もしていない。
 それはなぜなのだろうか。
 この疑問こそ、文字の読み書きに対する古代人と現代人の考え方の違いを示すものである。
 
 彼らは、大衆が文字を使って詩や物語を書くとは考えてもいなかった。
 古代文字は、人類学者クロード・レヴィ=ストロースが指摘しているように、
 「他の人間を隷属化させるために」
おもに使われていた。
 文字の読み書きが専門でない、いわゆる一般の人びとが文字を使い始めたのは、後世になって、文字が単純化されるとともに表現力が豊かになってからのことである。

 人類はこれまでいろいろなものを登場させてきたが、文字はその最後の段階になって登場した。
 それはなぜだろう。
 この疑問に対する答えは、初期の文字の使い道や使用者層がきわめて限定されていたという事実の中に隠されている。
 文字を早いうちに取り入れた社会も、複雑で集権化された社会であり、階層的な分化の進んだ世界であった。
 納税の記録をしたり、国王の布告を表した初期の文字は、そうした社会体系のもとで必要とされたものなのである。

 文字が誕生するには、数千年にわたる食料生産の歴史が必要だった。
 食料生産は、文字の誕生や借用の必要条件である。
 十分条件ではないのである。




[ ふみどころ:2012 ]



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2012年11月14日水曜日

:「アンナ・カレーニナの原則」

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● 2012/03/16[2000/**]



 草食性または雑食性の哺乳類で、家畜可能とおもわれるものは世界におよそ「148種」しか存在していない。
 大型草食動物の「大型」を、「体重100ポンド(約45kg)以上」と定義すると、20世紀までに家畜化されたのは、たった14種にすぎない。

 これら「由緒ある14種」のうち
限定された地域だけで重要な存在となった「マイナーな9種」は、
ヒトコブラクダ、フタコブラクダ、ラマおよびアルパカ、ロバ、トナカイ、水牛、ヤク、バリ牛、ガヤル
である。
 また、世界各地にひろがり、地球規模で重要な存在になったのはたった5種、「メジャーな5種」しかなく、それは
 牛、羊、山羊、豚、馬
である。



 家畜化されたものと飼育化されたものとは大きく違う
 この二つはきちんと区別する必要がある。
 ゾウは人間によって飼いならされた動物であっても、家畜化された動物ではない。
 家畜とは、人間が自分たちに役立つように、飼育しながら食餌や交配をコントロールし、選抜的に繁殖させて、野生の原種から創りだした動物のことである。
 つまり、家畜化には、野生種よりも有用になるように、人間によって品種改良されていく過程が含まれている。
 したがって、家畜化された動物は、さまざまな点で、野生祖先種と異なっている

 何千年という長い間に、家畜可能な動物を手にできる立場にあった人びとも、4,500年前に家畜化された「由緒ある14種」以外の大型哺乳類を家畜化することはできなかった。
 そしてこれは、現代の遺伝子学者にもできないことである
 では、残りの134種はどうして家畜化されなかったのか。

 「家畜化できている動物はどれも似たものだが、家畜化できていない動物はいずれもそれぞれに家畜化できないものである。
 この文章をどこかで目にしたような気がしても、それは錯覚ではない。
 文豪トルストイの小説『アンア・カレーニナ』の有名な書き出し部分
 「幸福な家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである
をちょっと変えたものである。
 要約すると結婚生活というものはもろもろの条件がすべて揃っていなければ’ならぬものであり、とすれば幸福な家庭とは似たりよったりになってしまう。
 しかし、たった一つが欠けただけで、その結婚生活は幸福なものにならない、というものである。
 われわれは、成功や失敗の原因を一つにしぼる単純明快な説明を好む傾向にあるが、物事はたいていの場合、失敗の原因となりうるいくつもの要素を回避できてはじめて成功する。
 トルストイの「アンナ・カレーニナの原則」は、まさにこのことを言い当てている。

 シマウマやヘソイノシシなどの大型哺乳類は家畜化できそうなものだが、人類において家畜化されたことはない。
 それはなぜだろうか。
 「アンナ・カレーニナの原則」によれば、実際に家畜化される野生種は、家畜となる条件をすべて満たしていなければならない。
 家畜となる条件が一つでも欠ければ、その他の条件がすべてパーフェクトでも、人間による家畜化の努力は水泡に帰してしまう。
 動物の家畜化については、親戚筋に当たる種類が家畜化されているのに、別の親戚筋が家畜化されていないという不可解な問題が存在する。
 それは、家畜化の候補となりうる動物に「アンナ・カレーニナの原則」を適用すると、少数をのぞいて、ほとんどがフルイにかけられてしまうのである。

 家畜化がうまくいくに必要とされる「すべての条件を満たしていない」と判断されるからである。
 その条件とは、
①.エサの問題
②.成長速度の問題
③.繁殖の問題
④.気性の問題
⑤.パニックになりやすい正確の問題
⑥.序列性のある集団を形成しない問題
などがあって人間が家畜化できないのである。
 野生哺乳類の’うち、ほんのわずかだけがこうした問題をすべてクリアでき、家畜となって人間といい関係を持つに至ったのである。



 われわれの農作物の大部分は顕花植物を祖先とするが、地球上の植物で一番多いのがその数20万種類におよぶ顕花植物である。
 しかし、野生植物の多くは樹皮の部分が多いとか、人間が食べられる果実・葉・根茎を形成しないといった理由で食用には適していない。
 20万種ある顕花植物のうち人間が食べられるのはわずか数千種である。
 しかも実際に栽培されるのはわずかに数百種にすぎない。
 さらに世界で1年間に消費されるの作物の80%はわずか十数種の植物で占められている。
 小麦、トウモロコシ、米、大麦、モロコシといった穀類だけで、世界中で消費されている食物カロリーの半分以上を提供している。
 世界を見渡しても、主要作物と呼べるものはこれほど少ないのである。
 そしてそのすべてが何千年も前に栽培化されている。
 このことを考えると、食料として有用な新種の野生植物がもうどこにも存在していないとしても、さほど驚くべきことではない。
 実際に、新しい主要食物となるような植物は、近世以降ひとつも栽培化されていない。
 この事実は、古代人が有用な野生植物をほとんどすべて試し、育成する価値のあるものはすべて栽培化してしまったことを示唆している。




 食料生産を独自にはじめた地域は、全世界で9ケ所を超えない。
 5け所だったとも考えられる。
 地域によって農作物や家畜が伝搬しやすかったり、伝播しにくかったりする現象は、
「プリエンプテイブ・ドメステイケーション(栽培化・家畜化の先取り」
と称される現象である。
 (訳注:野生の動植物の家畜化・栽培化によって得られる利益よりも、すでに家畜化・栽培化されている動植物を利用したほうが利益が大きいことが理解され、家畜化や栽培化が独自に進行しない現象)。
 農作物のもとになる痩せ植物の多くは、地域によって遺伝子が異なるのが一般的である。
 農作物の野生祖先種は、地域ごとに異なる野生種のあいだに発生した突然変異がもとになっているからである。
 また、人間が野生祖先種から栽培種を手に入れるときも、新しく見つかった突然変異種を使うか、それを使ったのと同等の遺伝子効果の得られる品種を選抜栽培によって作り出すのが一般的である。



 多くの野生植物の種子は、動物の消化器を「通過しなければ」発芽できない。
 例えば、アフリカ産のメロンの一種は、種子がツチブタに食べられることを前提に進化していて、ツチブタの排泄場所で発芽し、成育することが多い。
 植物の種子は、動物の手を借りて、時として何千マイルも遠くに運ばれる。




[ ふみどころ:2012 ]



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2012年11月13日火曜日

:狩猟採集生活から食料生産生活へ

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● 2012/03/16[2000/**]




人類史の大部分を占めるのは、「持てるもの(Haves)」と「持たざるもの(Have-nots)」との間でくりひろげられた衝突の数々である。
しかも、この衝突は、対等に行われたものではなかった。
つまり、人類史とは、その大部分において、農耕民として力を得た「持てるもの」が、その力を「持たざるもの」や、その後追い的に得たものたちに対して展開してきた不平等な争いの歴史である。



 食糧生産開始の地理的な時間差が、人びとのその後の運命を大きく左右している。
 摂取できるカロリーが多ければ多いほど人口が増える。
 ところが野生の動植物には、狩猟採取して食用に供する価値のあるものは少ない。
 野生種の動植物はほとんど、次にあげる理由のうち少なくともひとつに該当するため、人類の食用に適していない。
1.樹皮などのように人間が消化できないもの
2.テングダケのように毒のあるもの
3.クラゲのように栄養価の低いもの
4.小さな木の実のように料理するのが面倒なもの
5.昆虫の幼虫のように集めるのが大変なもの。
6.サイなどのように危険で捕まえられないもの。
 地球上の利用可能な生物資源(バイオマス)の多くは、われわれが消化できない樹木や木の葉として存在しているのだ。

 食用にすることのできる数少ない動植物を選んで育てれば、農耕民は狩猟採集民のほぼ10倍から100倍の人口を養うことができる。
 家畜は肉や乳、肥料を提供し、また鋤をひくことで食料生産に貢献する。
 そのため家畜を有する社会ではそうでない社会よりも多くの人口を養うことができる。
 家畜の直接の貢献としてはまず第一に、野生の獲物にかわって、動物性タンパク質の供給源になる。
 たとえば、現代のアメリカ人は動物性タンパク質のほとんどを、牛、豚、羊、鶏などから摂取している。
 大型の哺乳動物は、家畜として乳やチーズ、ヨーグルト、バターなどの乳製品を供給する。
 人類は、牛、羊、山羊、馬、カモシカ、水牛、ヤク、それにヒトコブラクダやフタコブラクダなどから搾乳している。
 こうした家畜は一生にわたって乳を出し続けることができ、屠殺され肉となって食べられてしまう場合の何倍ものカロリーを提供できる。

 大型の家畜は、次の2つの点において、栽培作物の生産増加に貢献している。
 まず第一に作物の収穫量は大型動物の糞を肥料として利用することで大幅に増やすことができる。
 第二に鋤をひくことのできる大型の家畜は、それまで濃厚に不適であった土地の耕作を可能にし、食糧増産に貢献する。
 人類は、牛、馬、水牛、バリ牛、ヤクと牛の混血種などを使役動物として使っている。

 このように、動植物の栽培化および家畜化は人口の稠密化に直接的に貢献している。



 人類の食料生産の起源については、間違った思い込みがいくつかあり、それらを一掃したうえで、前記の疑問を別の形で問いかけてみたいからである。
 まず、人類が食料を生産する方法を「発見した」とか「発明した」とかいうのはわれわれの思い込みであって、事実ではない。
 狩猟採集生活を続けるか、それともそれはやめにして食料の生産をはじめるかという二者択一で、農耕民になることを意識的に選択した例は、現実にはほとんどない。
 
 もう一つの間違った思い込みは、移動しながら狩猟採集生活を営む人たちと、定住して食料生産に従事する人たちとは、はっきり区別されるものだ、という考え方である。

 土地を自分たちで管理するかどうかも、食料生産者と狩猟採集民を区別する特徴だと思われているが、現実にはこの点で両者をはっきり分けることはできない。

 農耕をはじめた人たちは、食料を得る方法が他になかったためにはじめたわけではない。
 狩猟採集生活と食料生産生活は、二者択一的に選ばれたわけではなく、食料獲得戦略の一つとして、幾つかの生活様式のなかから選ばれたのである。



 とはいえ、この1万年間に見られる大きな傾向は、狩猟採集生活から食料生産生活の移行である。
 したがって、次に問うべきは、狩猟採集生活から食料生産生活へと移行させた要因はなんであったか、ということである。
 この問題は、これまで考古学者や人類学者の間でいろいろ議論されてはいるが、いまで結論は出ていない。
 その理由の一つは、人びとを狩猟採集生活から食料生産生活へと移行させた要因が世界的に同一ではなく、土地によって問題となる要因が異なることだと思われる。
 もう一つの理由は、何が原因で、何が結果であったのかの切り分けが難しいということである。
 しかしながらこの問題は、おもに「5つの要因」の相対的な重要性をめぐって論議されており、その要因がどういうものであったかは同定することができる。

 その一つの要因は、この13,000年の間に、入手可能な自然資源(特に動物資源)が徐々に減少し、狩猟採集生活に必要な動植物の確保がしだいに難しくなったということである。
 大型動物の絶滅の原因を気候の変化にもとめる説もあれば、狩猟技術の向上と狩猟者の増加とする説もある。
 野生動物の絶滅と食料生産の開始に因果関係があることを示す例は多い。

 第二の要因は、獲物となる野生動物がいなくなり、狩猟採集が難しくなったまさにその時期に、栽培可能な野生種が増えたことで作物の栽培がより見返りのあるものになったことである。
 更新世の終わりに気候が変化したため、野生種の穀類に自生範囲が大幅に拡大した。
 その野生種収穫物にまじっていた種子が徐々に栽培化される過程を経て、大麦や小麦が農作物として栽培されるようになった。

 人間が飼育栽培化した動植物種は、自生の野生種と形態的に異なることが多い。
たとえば、家畜化された牛や羊は野生種よりも小さく、鶏やリンゴは野生種よりも大きく、エンドウは種皮が薄くなめらかになっている。

 第三の要因は、食料生産に必要な技術、つまり自然の実りを刈り入れ、加工し、貯蔵する技術がしだいに発達し、食料生産のノウハウとして蓄積されていったことである。
 ノウハウを蓄積することで人びとは知らず知らずのうちに野生植物を栽培化する方向に歩みはじめていたのである。

 第四の要因は、人口密度の増加と食料生産の増加との関係である。
 食料を生産しはじめると、狩猟採集よりも土地面積あたりの産出カロリーを高めることができ、より多くの人口を養うことが可能になり、それが人口密度の増加へとつながる傾向にある。
 そして人口密度が上昇するにつれて、それに見合う食料を確保する手段として、食料生産がますます加速されるようになる。
 このプロセスでみられるのは「自己触媒」と呼ばれる作用になぞらえることができる。
 自己触媒的過程においては結果そのものがその過程を促進をされに早める正のフィードバックとして作用する。
 人口密度の増加は、ますます人びとを食料生産に駆り立て、その結果、地域の人口密度はさらに増加する。
 やがて定住して食料を作りだすようになると、出産間隔が短くなり、より多くの子供が生まれ、より多くの食料が必要になる。
 食料生産と人口密度の因果関係が双方向的に作用しているため、栄養状態においては農耕民のほうが狩猟採集民より劣っているという矛盾が発生する。
 この矛盾は、入手可能な食料の増加率より、人口増加率のほうがわずかばかり高かったことによって生じているのである。

 最後の要因は、狩猟採集民と食料生産者が接触をする地域でもっとも決定的な役割を果たしたものである。
 それは食料生産者が狩猟採集民より数の上で圧倒的に多かったために、それを武器に狩猟採集民を追っ払ったり殺すことができた(技術的により発達し、各種疫病への免疫をもち、職業軍人を有していたことなどが有利に働いた)。
食 料生産に適したところでありながら、狩猟採集民が近代にいたるまで生き延び続けることができた地域は、地理的な理由や、環境的な理由で、食料生産者の移住が困難であったり、食料を生産するための技術の普及が難しかった地域である。
 しかし、彼らにしても、ここ10年のうちに、都市文明の誘惑に負けてしまう可能性がある。
 政府の政策や宣教師の指導によって定住生活をはじめてしまうか、各種疫病の犠牲になってしまうかもしれない。




[ ふみどころ:2012 ]



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2012年11月11日日曜日

★ 銃・病原菌・鉄:ジャレド・ダイアモンド

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● 2012/03/16[2000/**]



著者というものは、分厚い著書をたった一文で要約するように、ジャーナリストから求められる。
本書についていえば、つぎのような要約となる。

歴史は、異なる人びとによって、異なる経路をたどったが、それは、人びとの置かれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない。


大半の人びとは、人類社会の歴史に見られる大きなパターンについて、詳細かつ説得力があり、納得できる説明を手にするまでは、相変わらず生物学的差異に根拠を求める人種差別的な説明を信じ続けるかもしれない。
私が本書を執筆する最大の理由はここにある。

社会は、環境地理的および生物地理的な影響下で発達する。
当然のことながら、このような考え方は古くからなされてきたが、今日、歴史学者のあいだでは重んじられていない。
誤っているとか、単純過ぎるとか、環境決定論だとか揶揄されてしりぞけられる。
あるいは、人類社会の差異を理解しようとする試みそのものがあまりに困難だとみなされている。
そして、このような課題は棚晒しになるり、まったく追求されていない。
だが、地理的要因が歴史に何らかの影響を及ぼしたことは明白である。
答えが求められているのは、地理的要因が歴史にどれほど影響を与えたかであり、
地理的要因が人類社会の歴史にみられる大きなパターンを説明できるか否かである。



金属器と文字を持つ社会が、金属器も文字も持たない社会を征服し、あるいは絶滅させてしまった。
こうした地域間の差異は人類史を形作る根本的な事実であるが、なぜそのような差異が生まれたのかという理由については、いまだ明らかになっておらず、議論が続けられている。

紀元前1万1千年、最終氷河期が終わった時点では、世界の各大陸に分散していた人類はみな狩猟採集生活をおくっていた。
技術や政治構造は、紀元前1万1千年から西暦1500年の間に、それぞれの大陸ごとに異なる経路をたどって発展した。
まさにその結果が、西暦1500年の時点における技術や政治構造の不均衡をもたらしたのである。

なぜ、人類社会の歴史は、それぞれの大陸によってかくも異なる経路をたどって発展したのだろうか?
人類社会の歴史の各大陸ごとの異なる展開こそ、人類歴史を大きく特徴づけるものであり、本書のテーマはそれを解することにある。
本書は、煎じ詰めれば人類の歴史について書かれたものである。
このテーマは、学術的に興味深いだけでなく、その解明は現実的にも政治的にも非常に有意義なものでもある。
というのも、さまざまな民族のかかわりあいの成果である人類社会を形成したのは、
「征服と疫病と殺戮の歴史」
だからである。

かっての民族間の衝突は、いまもなを影響を及ぼし続けている。
今日でも、問題を抱えている地域では、民族間の衝突がいまだに起こっているのだ。
過去の衝突の影響がいまなを見られるのは、政治・経済の分野だけではない。
現代の言語にも影響は現れている。
たとえば、世界に現存している「6,000」の言語の多くが、いま消滅の危機に瀕している。
これは過去数世紀のあいだに使用人口が急増した英語・中国語・ロシア語が、多くの言語に代って使われるようになったためである。

私は、過去33年間、進化生物学者としてフィールドワークをおこない、さまざまな人間社会に接してきた。
鳥類の進化の研究を専門とし、南アメリカ、南アフリカ、インドネシア、オーストラリア、とくにニューギニアで調査を行なってきた。
ニューギニアに存するものは、きわめて大きな割合で人類の多様性を示している。
現存している世界の6千種の言語のうち「1千種:1,000」はニューギニアでしか使われていない。
ニューギニアで鳥類相の調査をしているとき、鳥の名前のリストを作るために、100種類の異なるニューギニア言語で鳥の名称を聞き出さねばならなかった。
この経験を通じて、私の言語に対する好奇心はかきたてられた。




したがって、オーストラリア・ニューギニアに人類が行くには舟が必要だった。
歴史上、はじめて舟が使用されたことを示すものとして、この地域への人類のもつ意味は大きい。
これ移行に舟の使用がはっきりわかっているのは、その3万年後(いまから1万3千年前)の地中海での証拠しかない。
おそらく、初期のオーストラリア・ニューギニアの住民は、見えるところにある島には渡ろうという意志をもってわたっていったのだろうし、意図せずとも、頻繁に舟を使っていたために、見えないほど遠くにある島々にも移り住むことができたのだろう。
オーストラリア・ニューギニアへの定住は、人類最初の舟の使用とともに考えられるべき出来事である。
これはまた、人類のユーラシア大陸以遠への最初の大規模な移住でもある。
そしてこの定住は、人類による最初の大型動物の絶滅をまねいている。
オーストラリア・ニューギニアの大型動物(メガファウナと呼ばれる)はすべて、人間がわたってきたあと絶滅している。
<<略>>
これがオーストラリア・ニューギニアの大型動物は4万年前に初期人類によって殺戮されてしまったという仮説の根拠である。
この殺戮仮説には、反論がないわけではない。
たとえば、人間によって殺された証拠を示す大型動物の骨が見つかっていないのである。
<<略>>
これらの大型動物の絶滅は、それらを家畜として飼いならす機械を人類から奪ってしまったのである。




 人間社会の展開に影響をあたえうる環境上の要因は大陸によって大きく異なっている。
 もっとも重要な違いは、4つであるように私には思える。

①.まず第一に、栽培化や家畜化の候補となりうる動植物の分布状況が大陸によって異なっていた。
 このことが重要なのは、食料生産の実践が余剰作物の蓄積を可能にしたからであり、余剰作物の蓄積が非生産者階級の専門職を養うゆとりを生みだしたからである。
 発達段階で首長社会を超えるレベルに達した社会は食料生産のうえになりたち、経済的に複雑なシステムを擁して、階級的に分化し、政治的に集権化されていた。
 栽培化や家畜化を行うには、適性のある野生種が存在していなければならない。
 しかし、野生の動植物のうち適性のあるものは少なく、栽培化や家畜化の候補となりうる動植物の数は大陸ごとに異なっていた。
 大陸によって環境がちがっていたり、候補となりうる大型哺乳類が更新世後期に狩り尽くされて絶滅していた。
 オーストラリア大陸と南北アメリカ大陸では、ユーラシア大陸やアフリカ大陸よりもその絶滅は深刻であった。

②.伝播や拡散の速度を大きく異ならしめた要因もまた重要である。
 この速度がもっとも速かったのはユーラシア大陸である。
 それは、この大陸が東西方向に伸びる陸塊だったからであり、生態環境や地形上の障壁が他の大陸よりも比較的少なかったからである。
 作物や家畜の育成は緯度の違いによって大きく影響される。
 東西方向に伸びる大陸では作物や家畜がもっとも伝播しやすかった。

③.3つめの要因は、大陸内での伝播に影響を与えた要因とかかわってくるが、異なる大陸間での伝播に影響を与えたものである。
 大陸間における伝播の容易さは、どこも一様だったわけではない。

④.4つめの要因は、それぞれの大陸の大きさや総人口の違いである。
 面積の大きな大陸や人口の多い大陸では、何かを発明する人間の数が相対的に多く、競合する社会の数も相対的に多い。
 利用可能な技術も相対的に多く、技術を受け入れを促す社会的圧力もそれだけ高い。
 新しい技術を取り入れなければ競合する社会に負けてしまうからである。

 以上の4つの要因が、客観的に定量化できる環境上の大きな違いであることについては異論がないだろう。
 もちろん、こうした環境上の差異を持ち出すのは「環境決定論」であるとお怒りになる歴史学者もいる。
 環境決定論という言い方には、人間の創造性を無視するような否定的なニュアンスがあるかもしれない。
 人間は気候や動植物相によってプログラムされたロボットで、すべて受動的にしか行動できないというニュアンスだ。
 しかしそれはまったくの見当違いである。
 人間に創造性がなかったら、われわれはいまでも、100万年前の祖先と同じように石器で肉を切り刻み、生肉を食べているだろう。
 しかし、発明の才にあふれた人間はいずれの社会にもいる。
 そして、ある種の生活環境は、たの生活環境に比べて、原材料により恵まれていたり、発明を活用する条件により恵まれていた。
 それだけのことである。
 
 今後の方向性としては、まず、定量分析をさらに進め、大陸間の差異をもたらす4つの要因が果たした役割をより明確にすることである。
 また、異なる地域で起こったことを広い時間的尺度のなかで比較する研究は、同じ社会で起こったことを狭い時間的尺度の中で掘り下げる研究とは異なった洞察をもたらしてくれるのだ。





[ ふみどころ:2012 ]



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2012年10月19日金曜日

:金融主義者の思いあがり:最大の発言権をもっているのは政府である

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● 2011/06/25



 束縛のない自由市場資本主義を前にして、識者たちは、世界は一つのバザールになった、と主張した。
 政府の有効性は縮小し、戦争や紛争は過去のものになり、冷戦は歴史上の珍事となり、国際問題を支配しているのは、「無国籍の金融の力」である。
 もし、世界が一つのグループの手中にあるとすれば、その主体は、ゴールドマンサックスなど新進の投資銀行やベンチャー投資家、自由放任主義をまくしたてる経済専門家たちである。
 国家、特に「大きな政府」や全体主義的な形態は過去のものになった、と。

 アメリカの保守派は、いわゆる「大きな政府」などは無用であり、注意を払う必要のないものとあざ笑った。
 ところが21世紀に入ると、その思い上がりを打ち消すような、 
 2つの大噴火が発生
 した。

 その一つ目が、「9・11同時テロ」である。
 非国家主体による、意表をついた殺戮行動は、地球上で最も強力な国家をひどく傷つけ、一連の驚くべき対抗措置に走らせた。
 さらにアメリカは、世界の国々の大半を動員して、国家を主体とする秩序を防衛することに、躍起になった。
 あらゆる種類の治安措置や、個々の市民に関する膨大なデータの蓄積、他国との機密情報の共有、怪しい銀行口座や禁制品に対する協調措置などは、いわゆる「テロとの戦争」の副産物の一つである。

 歓迎されざる、ぞっとするようなニつ目の出来事は、昨年来の金融危機である。
 アメリカのサブプライム住宅ローン市場にはびこっていた無責任は、地球上のあらゆる場所にドミノ効果を広げ、遠くはなれた個人や銀行、会社、そして社会全体を傷つけた。
 この劇的な危機に関しては、指摘すべきことが多数ある。
 その一つは、アメリカの作家トム・ウルフが皮肉たっぷりに「宇宙の支配者たち」と命名した人々、つまり商業銀行家やヘッジファンドの運用助言者、「株価は永遠に上昇する」と告げたニセ予言者たちの、面目を失墜させたことである。
 彼らに共通するのは、要するに、努力せずに儲けたい、という欲望で身を焦がしていることだった、のである。

 自分の家を失ったり、預金や年金が破滅したりした人々にとって、銀行家や経営責任者が公然と辱められる光景は、自分たちの痛みに対する中途半端な慰めでしかない。
 失業したり短時間労働者にされたりしたおそらく何百万人もの人々にとって、これら羽振りのいい連中に対する制裁は不十分だろう。
 だが、それは今回の論点ではない。

 私が言いたいのは、束縛のない自由市場資本主義が唐突に、激震を伴って終わりを告げ、
 国家が進み出て、政治だけでなく金融問題の管理も再開した
ということである。
 もちろん、世界中の様々な場所で、国家が退場したことは一度としてなかった。
 90年代後半には、ロシア、中国、ベネズエラ、ザンビアなどで、すでに国家権力は増大の兆候を見せていた。
 したがって、、市場志向型経済の逆転は、特にアメリカにおいて最も衝撃的だったと言えるだろう。
 アメリカの有力銀行が、 いわゆる「耐久試験」にかけられ、その経営者が連邦議会の各委員会で繰り返し詰問され、これまで野放しだったかれらの給料と賞与に「上限」が設けられる光景は、まさに巨人たちの屈従である。
 それはまた、国家国民の潜在的な強さをも想起させる。

 同じことが国際的な場面においても言える。
 現在の「宇宙の支配者」は誰か。
 答えは明白である。
 地球規模の大金融機関でさえも、政治的なご主人様の笛にあわせて踊っているのだ。
 つまり、最大の発言権を持っているのは「政府」である。

 たとえば、IMFは、傷ついた国家経済や崩壊する通貨を支えるために、何千億ドルかの追加資金をもらうかもしれない。
 だが、その権限はどこから来たのか。
 もちろん、世界の金融システムを救済する必要を認識した諸国の、「政府グループ 」からである。
 その決定が、古いG7会議のものか、あるいは新しいG20会議のものなのかは、真の問題ではない。
 肝心なのは、明らかに「政府による行動」だということである。
 要するに、国家が舞台の中央に復帰したのである。

 結局のところ、トールマン大統領の有名な文句
 「責任はここでとる」
を借りるなら、通常、
 権力の手綱を握っているのは政治指導者
なのである。








[ ふみどころ:2012 ]



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